訪看を社会インフラにするビジョンに共感し、
北海道から名古屋へ。
そして、夢の一歩目が叶いました
高畑店 管理者
森田 恭平
DATA
1990年生まれ/専門学校卒/前職:急性期病院/管理者経験なし/訪看経験なし/北海道出身/2015年入職/2019年より管理者。現在、訪問看護部長(高畑店・札幌店担当)と高畑店所長を兼務
医療職になったきっかけと経歴を教えてください
母と姉が看護師で、2人が働く姿に影響されて私も看護師になろうと思いました。看護学校を卒業後、登別の病院に入職し、療養型病棟で約2年勤務しました。病院の統合を機に、系列の急性期病院に転勤し、内科病棟で1年半勤務しました。計4年間の病院勤務を経て、2015年にかかりつけに入職しました。2019年より名北店管理者となり、黒川店、鵜沼店の管理者も経験し、2020年より訪問看護部長となりました。現在は高畑店所長を兼務しています。
看護師として、笑顔で訪問することと、ご利用者さまが「今日一日、良かったな」と思ってもらえるような関わりを大切にしています。ご利用者さまの「こうしたい」という想いを叶えることを使命と考え、とことん話を聴くことを心がけています。
転職前に感じていたキャリアや仕事の「悩み」について教えてください
前職の病院では男性看護師はごくわずかで、誰も役職がついていませんでした。そのため、その病院にいたままで、自分が30~40代となったときにキャリアアップしていけるのだろうかと悩んでいました。
また、私は慢性期の経験をきっかけに、訪問看護に興味を持っていました。病気があっても、誰もが在宅で豊かに暮らせる地域をつくるため、いずれは訪問看護ステーションの管理者になりたいと思うようになっていたのです。
しかし、当時北海道には訪問看護が浸透しておらず、「誰もが豊かに暮らせる」環境ではありませんでした。病気のある方が家で過ごすという文化がなかったためか、在宅看取りも少なく、私自身も「最期を迎える場所は病院か施設のどちらかしかない」と思っていたほどです。北海道にも24時間365日体制のいいステーションが作れたら、最期まで在宅で暮らせる方も増えていくだろうと考えていました。
転職前の「不安」について教えてください
ステーションの立ち上げを目指し、転職先を考えていたときに、弊社代表の藤野さんと北海道で出会う機会がありました。当時、藤野さんはかかりつけの1店舗目を名古屋に立ち上げようとしていたタイミングでした。藤野さんは、ICTを積極的に活用し、20~30代のスタッフを中心とした組織づくりに取り組もうとしていて、私もそんな勢いのある組織で一緒に働きたいと思いました。まずは名古屋で365日24時間の訪問看護を学び、将来的に地元・北海道に還元したいと考えたのです。しかし、知り合いがいない、ゆかりのない土地への引っ越しに、妻が納得してくれるのか不安がありました。
また病院での経験が4年ほどしかなかったため、本当に訪問看護に進んでいいのかという悩みもありました。同期や上司に相談しても、「その経験じゃできない」「まだ早いんじゃない?」と多くの方から反対され、不安が強くなっていきました。
転職前の悩みや不安をどう乗り越えたのですか?
あるとき、医療系雑誌の訪問看護の特集で、新人や若くして訪問看護に進んだ看護師が活躍している様子が紹介されていました。当時はまだ「訪問看護はベテランにしかできない」という風潮もあったのですが、その記事をきっかけに、「私にもきっとできる」という想いが強くなっていきました。
みんなのかかりつけを選んだ決め手は、「訪問看護をすべての地域の社会インフラにする」というビジョンです。私が生まれ育った地域には訪問看護ステーションがなく、自分が北海道にいたままでは「誰もが豊かに暮らせる地域づくり」は難しいと思いました。しかし、一度は北海道を離れることになっても、かかりつけなら私の夢を実現できると感じ、入職を決めました。妻も応援してくれて、一緒に名古屋に引っ越すことになりました。
一歩を踏み出して、今どうですか?
入職した9年前を振り返ってみて、一歩を踏み出して本当によかったと思っています。全国の看護師の仲間と繋がりながら切磋琢磨し、各店舗の所長と学び合うことで、看護師として誇りを持って働くことができています。マネジメントを学び、所長経験を積んだことで、私自身も成長できました。同じ想いを持つ仲間と一緒に、ご利用者さまに向き合い、地域を支えているという実感があります。
現在、ビジョンに共感して、かかりつけに入職してくれる仲間もどんどん増えています。2024年5月には、北海道での1号店となる札幌北店がオープンしました。北海道は在宅看取り率が低く、訪問看護を利用する方が少ない傾向があり、いまだに訪問看護がない市区町村も多数あります。私は「北海道のすべての市町村に訪問看護ステーションをつくりたい」と考えていて、その夢の一歩を実現できました。