訪問看護事例:CASE 10
投稿日:2025年10月23日

「理想の死に方」がある利用者様へのケアと寄り添い方

受容状態から非受容状態へと揺れる心を支え続けた在宅チーム

概要

在宅看取りで、状態変化を受け入れられず気持ちが揺れる利用者様に寄り添った事例。「子どもには迷惑をかけずに自宅で逝く」と死を受け入れていた方でも、終末期の状態変化に理解が追いつかず、混乱してしまうことがあります。その際、どのように寄り添い支援するのが最善かを導き出した取り組みを紹介します。

この記事で学べること・
本事例のポイント

  • 最期の希望を支えるチームが常にそばにいることを伝え続けることの意味
  • ACPにおける『もしバナゲーム』™の活用方法
  • 状態変化に戸惑い混乱が生じた利用者への支援方法
  • ※ACP:アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)の略称。将来の変化に備え、希望する医療及びケアについて、 本人を主体に、その家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援・共有する取り組みのこと。

介入事例

登場人物:ご利用者様・担当者

Iさん

80歳、一人暮らしの男性。近居の娘さんがいる。十数年前にがんを発症し、化学療法を行ったが転移を繰り返し、治癒の見込みがなくなって緩和ケアを専門とした訪問診療に移行。この世を去ることへの覚悟を持ち、葬儀の準備も自身で手配し、最期をどう迎えたいかという希望も周囲に伝えていた。それでも実際に最期が近づいてくると現実がなかなか受け入れられず、葛藤が続いた。2024年10月に逝去。

松本佳苗担当者:看護師

看護大学を卒業後、整形外科病棟に2年勤務し、2023年4月にデザインケアに入社。以来、訪問看護に携わる。看護師としてのポリシーは「疾患だけでなく、利用者さんの人生や家族との関係性など全体を見る。その人を知りたいという思いで対話をすること」。

背景:治癒の見込みがなくなり訪問治療を選択

10数年前にがんを発症し、化学療法を行っていたIさん。がんサロンや笑いヨガに参加したり、がん患者仲間と車で旅行したりするなど、闘病中も楽しみを見つけてさまざまな人との関わりを大切に過ごしていた。ところが一緒に暮らしていた奥様が指定難病を発症してしまう。「本当は妻より私の方が早く死ぬはずだった」と思いながらも自宅で介護を続けたが、2年前に奥様は逝去。その後は一人暮らしとなったIさんだったが、がんの転移を繰り返して治癒の見込みがないとなった際、「家で自由に過ごして最期を迎えたい」と緩和ケア専門の訪問診療医を選択する。「娘には迷惑をかけたくない」「なるべく自分でできることはして、子どもに迷惑をかける日数は少なくしたい」と語り、寺や葬儀の手配・支払いも済ませていた。介入のタイミングにおいてIさんは死の受容段階にあった。

希望:家族に迷惑をかけず自宅で「ピンコロ」が理想

「自分の希望はずっと家にいてここで死ぬってこと」と願っていたIさんに、訪問診療の主治医が提案したのが「ピンコロ(ピンピンコロリと亡くなっていく)契約」。契約といっても「最期まで前向きに頑張りましょう」という約束のことで、「ギリギリまで歩いたりトイレに行けたりできるといいね、最期まで自分のことは自分でして、カッコよく逝きましょう」とも話していた。

もう一つ、Iさんが強く願っていたのが一人娘に負担をかけたくないということ。「親だから生きていてもらいたいと思うのは当たり前だろうけど、娘とはもう何回か(最期について)話をしています」「いつお迎えが来てもいいかなって思っているけれど、最後に迷惑をかける時間をどれだけ少なくするか」と、常に気にかけていたのは娘さんのことだった。奥様を自宅で介護して看取った時の経験を「家族だからできると思ったが、身体は1カ月で限界」「どこまで持つか、根くらべ」と語っており、娘さんには同じような思いをさせたくなかったのだろう。

ケア計画:本人の気持ちに寄り添い、最期に対する意思を確認し続ける

2023年6月に初回訪問。介入当初は週1回の訪問で、Iさんの体調観察、足のむくみなどの症状に対する対症的なケア、医師との情報共有を目的とした。松本看護師の介入は2024年2月から。対症的なケアを行いつつも、気持ちに寄り添い続けるよう注意を払った。2024年10月上旬、状態が悪化してからは、訪問回数を週1回から2〜3回、毎日と増やした。

経緯:揺らぐ気持ちを受け入れ、傾聴に徹する

最期への覚悟を持ち、自立して過ごす毎日

がんを患いながらも、患者仲間と旅行に出かけ、がんサロンや笑いヨガに参加するなど、積極的に外との関わりを持ち続けていたIさん。介入当初は食事も自分で用意し、車を運転して外出するなどADLも自立しており、穏やかな日常を過ごしていた。松本看護師にも「人間は死にゆくんだからしようがないよね、みんな目を背けるけど考えておくことは大事なことですよ。お寺さんと葬儀屋さんも決めてるし、もうお金も払っている」と話す。Iさんは自分の最期を覚悟していて、死の受容過程では受容段階にあると松本看護師は考えた。

※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと

『もしバナゲーム』™で思いを共有

自身の死生観や家族への思いなどを率直に話してくれたIさんだが、本人の思いをしっかり共有し、違う観点からも確認したいと考えた松本看護師は、介入から5カ月後の2024年7月に『もしバナゲーム』という意思決定のヒントとなるカードゲームを勧める。Iさんの希望を口頭で聞くだけで形として残っておらず、娘さんにもどこまで正確に伝わっているかが不明だったため、意思確認がはっきりできる間に記録しようと考えたためだ。このゲームは人生の最期に自分がどうありたいかを問うもので、Iさんが選んだのは「私が望む形で治療やケアをしてもらえる」「痛みがない」「呼吸が苦しくない」「家で最期を迎える」「私を1人の人間として理解してくれる医師がいる」「主治医を信頼する」「穏やかな気持ちにさせてくれる看護師がいる」の7枚だった。「みなさん避けようとするけど、大事な話ですよ。私もね、こうやって言葉にするとやっぱり大事なことだなと思いますね」とゲームを終えて語ったIさん。選んだ理由も聞き、Iさんがどうありたいかだけでなく、看護師や医師など医療者に望むことも明確になり、以降の大きな指針にすることができた。医療職には、それぞれの関係するカードの内容と選んだ理由を共有する。娘さんにも「信頼できる人々に囲まれ自宅で過ごしたい」というIさんの強い希望を共有し、それに沿ったケアを行いたいと伝えた。

▲Iさんが選んだ7枚の『もしバナカード』

※『もしバナゲーム』™:35枚のカードに自分の最期のときに望むことや大事にしたいことが書いてあり、それを選ぶカード(ゲーム)。1人や2人でも、大人数でも行うことができる。ゲームを通じて、人生において大切な「価値観」や、自分自身の「あり方」について様々な気づきを得ることができる。

根源的な葛藤に対する丁寧な問いかけ

同時に、チームはIさんが抱える根源的な葛藤にも焦点を当てていた。それは「娘には絶対に迷惑をかけたくない」という強い信念と、『もしバナゲーム』で示された「信頼できる人々に囲まれ、家で穏やかに過ごしたい」という願いの間の矛盾である。後者を実現するには、娘さんの協力が不可欠だった。

松本看護師は、まずIさん自身がこの葛藤をどう感じているかを丁寧に問いかけた。「娘さんには頼りたくない気持ちと、やはりそばにいてほしい気持ちと、両方あってお辛いですよね」と、相反する感情の存在そのものを肯定的に受け止めることから始めた。その上で、「もし娘さんが『お父さんのために何かしたい』と思っていたら、その気持ちをどう受け止めますか?」と問いを投げかけ、Iさんが娘さんの視点に立って考えるきっかけを作った。

この対話を数回にわたり繰り返す中で、Iさんは徐々に「娘がそう言うなら…」と、助けを受け入れることへの心理的な抵抗を和らげていった。これは、単に「助けてほしい」と言えるようになることではない。「娘の助けたいという気持ちに応える」という意味合いで娘のサポートを受け入れる、Iさん自身の主体的な自己決定プロセスだった。この内面的な変化を経て、チームは娘さんへ『もしバナカード』の内容を共有し、具体的な協力体制を構築する段階へと進むことができた。

転倒をきっかけに気持ちが揺れだす

「もしバナゲーム」から1カ月後、Iさんの身体機能は徐々に低下し、食事もだんだんとれなくなり、運転免許も返納して外出の機会も減ってしまう。松本看護師は、状態変化があったらすぐに連絡が取れるよう、娘さんとのLINEグループを作成し状態を共有。主治医、診療所のスタッフ、看護師、事務所のスタッフとは、MCS(メディカルケアステーション)という多職種連携のためのSNSを用いてリアルタイムでの情報共有に努めた。そしてその2カ月後、Iさんは洗面所で転倒し、動けなくなってしまう。すぐにステーションのチームと相談し、早急に家の中の環境を整えようという話が進む。早速、同じ店舗のリハビリスタッフが同行し、Iさんがトイレまで歩く動線を見守ったが、その際に膝崩れを起こして立ち上がれなくなってしまう。「ああもう無理だね、もう終わりだ」と口にするIさん。自分でできていたことができなくなることに衝撃を受け、それまでは見せたことのない様子で悲嘆にくれていた。死の受容段階にあるはずのIさんだったが、明らかに様子が変わっていた。死を目前にすることは人生最大の壁であり、どれだけ覚悟していたとしてもそこには葛藤が生まれるのだと実感する。

傾聴に徹し、希望には柔軟に対応

Iさんが悲嘆し混乱する姿を見て、松本看護師もどうすればうまくコミュニケーションを取れるのか悩んでいた。身体の動きが悪くなり、食事が取れなくなってきたのは終末期に自然に起こる変化であると説明をしても、「食欲がないから食べられないんだ」「今ちょっと体調が悪いから」と言い、最期が近づいていることをなかなか受け入れることができない。この頃、松本看護師を含む訪問スタッフは、毎日のようにIさんを訪ね、時にはその様子を動画で撮影し、会話の内容と合わせて主治医も含めた在宅チームで情報を共有した。そしてどのようにどう対処すればいいのかを全員で模索した。試行錯誤しながらも、『もしバナゲーム』のことを尊重した意思決定を支援しようという方針は揺るがなかった。「Iさんの悲嘆や混乱に一緒に流されることなく、ひたすらIさんの気持ちを傾聴する」「Iさんの希望に寄り添う」「これまでの会話や『もしバナゲーム』で示されていたIさんの意思を尊重する」ことを全員で心がけ、ケアプランの変更も含めて柔軟に対応した。3カ月前に行った『もしバナゲーム』によるACP がチームの意思決定の背中を押していた。松本看護師も「まずは聞く。「こういう状態なんですね?」とIさんの言葉を反復して、本人の気持ちが落ち着き、こちらの言うことを受け入れられる状態を待つ。そういう支援をしよう」と決意した。

周囲に支えられ「そろそろおっかさんのところに逝く」

しかし、Iさんの状況は依然として変わらなかった。それでも松本看護師は、自分の状況を受け入れられないIさんに対して、「看護師や主治医はいつでもIさんの気持ちに寄り添い、支えている」と伝え続けた。娘さんもIさんの意思を尊重し、最期まで自宅で過ごすことができるように必要な物品を揃えて環境を整え、仕事の前後にIさんを訪れては様子を看護師に伝えてサポートしてくれた。そしてある日、Iさんの気持ちが動く。「命の限り闘いたい気持ちもある。でも、限界がある。今日だか明日だかわからないけど、あとは皆さんにまかす。そろそろおっかさんのところに逝く」と主治医に話した。ほぼ寝たきりになっていたが、これまで交流があった仲間に自分から電話をかけ、「もうダメみたいなんです。意識が遠のくというか。皆様には申し訳ないですね。ありがとうございました」と伝えた。状態は限界に近づいていたが、最後の最後に出会った頃の受容状態のIさんに戻った。そして、その2日後に娘さんに見守られながら息を引き取った。

振り返り:理想と現実のギャップをどう埋めるか

たとえ利用者が死の受容段階にあったとしても、自分の状態の変化についていくことができず、戸惑ったり悲嘆にくれることは往々にしてある。「看護師としてこうすべきだと思い、事実を提示して受け入れを促しても、状況次第で利用者様の最善にはならない。本人や周りの環境などを全体的に見て、本人のタイミングで物事を受容できるよう支援し、柔軟に対応するのが大切だと感じました」。Iさんは「ピンコロ契約」を結んでいて、亡くなる直前までピンピンしていることが理想だったが、状態変化によってそこにギャップが生じてしまった。「看護師としてそのギャップを埋めていくために、今のIさんの状況を、なるべく本人の理想と近づけてお伝えする。そういう話の仕方や支援方法が大事かなと思います」。(松本看護師)

利用者様・ご家族の声

「主治医の先生は、まだ父が元気な頃から通っていたので、父のことをよく分かって下さって、父も先生を信頼していました。父が最期まで迷惑かけたくないって言っていたから、本当にその通りに最期過ごしましたね。最後まで食事も自分で準備していたし、動けなくなってから1カ月位でパタパタパタといって、父が思い通りにできて、痛がらず苦しまなかったのがよかったと思います。在宅ならではですね。」
(Iさんの娘様)

まとめ
(この症例のポイント)

  • 利用者の意思を確認してくれる信頼のおける医療者とチームが、常にそばにいることを伝え続ける
  • 家族と連携を深める時期を見極め、ACPの理解が進むよう『もしバナカード』を活用して利用者の意思を共有する
  • 状態変化に戸惑い混乱が生じた利用者に対して傾聴を繰り返し、自身で受け入れられるよう支援する

考察

医療職向け 症例からの学びポイントと解説

本症例は、「理想の死」を準備していた患者が、避けられない身体的衰弱という現実との乖離に苦しむ姿と、その複雑な心理プロセスに寄り添った在宅チームの関わりを描写しています。この実践は、終末期の患者が示す意思の「揺らぎ」に対し、我々専門職がいかに向き合うかを深く問い直すものです。

1.死の受容過程のアセスメント:「静的な段階」ではなく「動的なプロセス」として捉える

終末期の患者が自身の死生観を語ることは、必ずしもキューブラー・ロスモデルにおける最終的な「受容」を意味しません。本症例の患者が転倒を機に深い悲嘆に陥ったように、死の受容とは一直線に進むものではなく、身体状況の変化によって常に揺れ動き、時に後退しうる動的なプロセスです。初期の言動から「受容段階にある」と静的にアセスメントしてしまうと、その後に生じる当然の混乱や悲嘆を「問題行動」と誤認する危険性があります。専門職は、患者の言葉の背景にある人生経験に敬意を払いつつも、その心理状態を固定的に判断せず、常に変化しうるものとして捉える視点が不可欠です。

2.ACPの真価:意思決定のツールから、混乱期の「羅針盤」へ

本症例における『もしバナゲーム』の活用は、単に初期の意思を記録するだけに留まりませんでした。患者が自身の理想(ピンコロ)と現実(身体機能の低下)との乖離に混乱し、苦痛を言語化できなくなったとき、カードによって可視化されていた核となる価値観(「痛みがない」「家で最期を迎えたい」「信頼できる医療者がいる」)は、ケアの方向性を見失わなかったチームの「羅針盤」として機能しました。ACPは一度きりの「契約」ではなく、患者の意思が嵐のように揺れ動く局面においてこそ、その人の尊厳を守るための指針として真価を発揮するのです。

3.専門職の核心的役割:「傾聴」から、葛藤を乗り越える「自己決定プロセス」の支援へ

本症例の最も重要な学びは、患者が抱える根源的な葛藤、すなわち「娘に迷惑をかけたくない」という価値観と「信頼できる人に囲まれていたい(=娘に頼りたい)」という本質的欲求の相克を、いかに支援したかという点にあります。この状況で求められるのは、ただ話を聞く「傾聴」に留まりません。患者がこの内面的な対立に自ら向き合い、悩み、他者(特に家族)の助けを受け入れるという新たな関係性を主体的に再構築していく、その苦しい自己決定のプロセスそのものを支えることです。専門職は、性急な解決策を提示するのではなく、患者が自身の価値観と向き合い、納得のいく答えを見出すまでの「伴走者」となること。このプロセスを支援してこそ、真のケアと言えるでしょう。

※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。

取材・文/清水真保

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