概要
末期がんの疼痛と認知症が原因で生活環境が荒廃し、生きるのが辛いという利用者様の状況を訪問看護師のケアで目覚ましく改善した事例。自尊心の強い利用者様は当初、支援を受けることには消極的でした。訪問看護チームは、本人の「自分でできる」という気持ちを尊重しながら、複数名で介入し、短期間で環境を改善。疼痛コントロールも行い、利用者様が生きる楽しさを取り戻せるよう支援しました。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 利用者に支援介入への抵抗感がある場合の対処方法
- 支援を受けていることに気付かれないようサポートするノウハウ
- 生活環境の土台を整えることの大切さ
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者
90歳、女性。夫と二人暮らし。息子が近隣市に在住。保健師として長年働き、人命を救ったこともあると話すほど自分の仕事に誇りを持っていた。妻として、母としての役割も果たしてきたという自負から、末期がんや認知症を患っても人の助けは借りずに生きていけると思っており、当初は訪看の介入に消極的だった。
大学病院11年(整形外科、精神科)、こころケアセンター5年の勤務を経て、2020年より株式会社デザインケア入職。「精神疾患を患っている方が、住み慣れた地域で自分らしく生活できること」を目指し、学びを深めている。
背景:疾患の影響と自己受容できないことで生活環境が劣悪に
2021年4月、口腔がんが再発したHさんは病院での積極的治療が困難な状態で、訪問診療による緩和ケアを行うために、みんなのかかりつけ訪問看護ステーションが介入することになった。担当の石井看護師がHさん宅を初めて訪問した際、驚いたのが家の中の状態の劣悪さ。昼夜問わず雨戸が閉められていて薄暗く、かなり散らかっていて、台所の衛生にも問題がある。同居している夫にも疾患があったため、Hさんの世話や介護はほとんどできない。
またHさんには疼痛コントロールのための内服薬が処方されていたが、実際は服用しておらず、そのため夜間に痛みが強くなって睡眠がとれない日々が続き、生活リズムも崩れてしまっていた。
Hさん自身は家の中のことが十分にできない自分を受け入れられることができず、「自分でやれる、あなたたちの助けはいらない」と支援には消極的だった。
希望:全く希望がない状態からのスタート。諦めの中から希望を見つける支援を
保健師として長年働き、家庭や子育ても両立してきたHさんは、病気になるまで自立した生活をしてきただけあって、何でも自分でできるという思いが強くあった。それなのに認知症の影響でいろいろなことがわからなくなってきていることに加え、痛みにも悩まされ、今は何もできなくなってしまっていることに苦しんでいた。石井看護師が「一番辛いことはなんですか」と尋ねると、笑顔なく「生きていること」と答えるほど意欲を失っている状態だった。石井看護師やチームは、生活環境を整えつつ、まずHさんに生きる希望を見つけてもらうことから始めた。
ケア計画:最優先テーマは環境整備と疼痛コントロール
介入当初のケアプランは体調管理、服薬管理、セルフケア支援(環境整備、飲食、保清)、家族支援(夫)を目的とした、毎日1回の定期訪問。訪問診療の主治医からは、とにかく好きなもの、食べられるものを摂取するように、もし摂取できなければ点滴を実施すると言われていた。また毎日の服薬による除痛効果の評価がしたいとも言われていた。しかし、実際に訪問すると、室内は健康に悪影響が出るほど乱れていた。訪問看護師チームは、何よりもまずは生活環境を整えること、そして疼痛コントロールでQOL※を上げることを最優先課題と考えた。
※QOL:「Quality of Life」の略で、「生活の質」「人生の質」を指す
経緯:環境が整い、痛みが和らぐことでHさんに笑顔が戻る
生活環境が整っていなかった家の中
Hさん宅を初めて訪れた石井看護師らは、家の中の様子に驚いた。床には衣類や新聞が山積みで、郵便物や小物があちこちに散乱し、洗濯機の前には汚れた衣類が重ねて置いてある。飲み残しの経腸栄養剤や豆乳パックがキッチンのいろいろな場所に置かれ、生ごみも放置されており、コバエが多数飛んでいる。窓は雨戸で閉ざされ、昼間でも光が差し込まず、換気もできていない。
「これはまずい」。その場にいた誰もがそう感じた。主治医からの依頼は「服薬管理と痛みの評価」だったが、同時に生活環境を整えることが急務だ。いつのものかわからない飲みかけの飲料などを飲んでは下痢をするという状況も続いていたし、キッチンでものを焦がすなどのボヤ騒ぎもあった。灯油ストーブの周りに積まれた紙や衣類に引火する恐れもあり、放置すると命の危険にもつながりかねない。
息子さんは2週間に1度くらいの割合で顔を見せていたが、これほどひどくなったのは介入の1年前くらいからだという。Hさんの認知機能が中程度まで落ちていたことがその原因だと考えられた。
複数体制で挑んだ環境改善
まずはHさん夫妻が安全・快適に生活ができる環境を早急に整えるため、初回訪問の翌日から約10日間にわたって複数名で訪問することを決定。ヘルパーの介入も考えたものの、状況から見て複数人で対応しないととても無理だろうと判断し、ある程度まで訪問看護師が環境を整えた上でヘルパーに引き継ぐことにした。
Hさん自身は「散らかっているのは探し物をしているからで、自分で片付けられる」「私も保健師として長く働いていたし、人の命を救ったこともある。妻として、母としてもちゃんとやってきたから」と言い、支援の必要は感じていなかったため、介入は慎重に進める必要があった。当初は4人で訪問し、1〜2人は居室でHさんのバイタルを測ったり、話し相手をし、その間に、残りのスタッフが夫や息子さんの許可を得た上で、こっそりキッチンや部屋の掃除、片付けに専念するようにした。少し片付けが進んだ段階で、Hさんの体調や気分が良い時は、Hさんにも参加してもらうように声をかける。自分でやりたいという気持ちを尊重し、「洗濯物を畳みましょう」などと誘ってはスタッフと一緒に整理整頓や掃除をしたり、汚れ物を洗ったり。片付ける時も「これはどうしたらいいですか」と尋ねることで、Hさんが指示を出してやっていると感じてもらえる工夫をした。「気をつけたのはHさんの自尊心を傷つけないようにすることです。一緒にやりましょう、と声をかけ、できていないことを指摘するようなことはせず、散らかったものを捨ててくれたときには『捨ててくれてありがとうございます』など感謝の気持ちも伝えていました」(石井看護師)。
10日間、集中して複数名で訪問し最低限の環境が整ったので、その後は単独で訪問することもあった。介入から約1カ月後には、Hさんとスタッフとの信頼関係も構築され、環境整備についてはヘルパーに引き継ぐことができた。

疼痛も軽減し、明るくなったHさん
介入後、薬カレンダーで服薬チェックをしていたが、内服できていないことが3日後に判明。理由を聞いたところ「薬のアレルギーがあるから飲みたくない」とHさん。処方されていた薬には昔アレルギーを起こした成分は含まれていなかったものの、服薬に抵抗があることを主治医に報告。すぐに経口薬から経皮薬に変更してもらったことで、抵抗なく使ってもらえるようになった。常に痛みに悩まされ、夜も寝られなかった状況が改善されてQOLも上がった。加えて片付けが進んで生活環境も気持ちよく整ってきたことでHさんにも前向きな気持ちが生まれてきた。
キッチンに立って料理を作り、訪問看護師に「あなたたちも食べて行かない?」と声をかけてくれたり、紙パックの豆乳を湯煎してスタッフに勧めてくれたりするようになり、「明日は何時に来るの?」と来訪を楽しみにする言葉もあった。スタッフが帰るときには玄関先まで見送りにきて「ありがとうございました」と挨拶し、窓の外にスタッフの姿が見えると手を振ることもあった。介入して20日後、女性スタッフが促してはじめて入浴介助をしたときに、「まあ極楽、極楽。いいお湯だったわ」と満面の笑みで伝えてくれたHさん。暗い部屋の中で「生きているのが辛い」と嘆いていた姿からは別人のようだった。
介入から2カ月後、Hさんは患部からの出血があり、入院することになった。緩和ケアに移るかどうか検討していた矢先、病状が急変し、病院で息を引き取った。

振り返り:看護における環境整備の重要性を改めて認識
Hさんの事例で、石井看護師は改めて看護における環境整備の重要性を認識する。「環境整備はヘルパーの仕事で、看護師がすることではないという声もあるかもしれない。しかしそれも自分ごととすることで、ようやく在宅での看護が成立するのではないか」と言う石井看護師。「フローレンス・ナイチンゲールの『看護覚え書』では、看護とは『空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保つ』ことであると表現されています。環境整備とは、これらの観点に加え、患者さんの個別性に合わせて生活しやすいように療養環境を整えること。看護師だからこそ、その利用者様に合わせた個別性のある環境整備ができるのだと思います」。
利用者様・ご家族の声
「こんなことやって、あなたたちも大変ね。
色々大変でしょう? 私に会うのが、楽しみ?
ふふ 私は無愛想だから。
みんなに無愛想って言われる」
「まああなたたちも大変よね。
こんなことまでしてくれて。
もうこんなおばあさんいいのに」
「極楽極楽。みんなにそう言っといてね!」
(Hさん)
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者に支援介入への抵抗感がある場合、その気持ちをまず受け止め、理由を考えた上で、支援の方法を探る。
- 利用者の自尊心を守れるよう、支援を受けていることに気付かれないようサポートすることで、利用者本人の「やりたい気持ち」を引き出すことができる。
- 利用者に合わせた生活に必要な環境の土台を整えることが、看護の大切な役割の一つ。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本症例は、末期がんの疼痛と認知症により生活環境が著しく悪化し、「生きていることが辛い」と語る利用者の尊厳を、看護チームがいかにして守り、回復させたかを示す実践です。このプロセスは、看護の原点と、利用者の心理的抵抗を乗り越えるための高度な介入技術について、我々に重要な視点を提供します。
1.看護の原点としての環境整備:安全と尊厳の土台作り
本症例のチームは、主治医の指示である「服薬管理と痛みの評価」よりも先に、生活環境の整備を最優先課題としました。これは、ナイチンゲールが『看護覚え書』で示した「空気、陽光、清潔さ」の確保、すなわち看護の原点に立ち返る、極めて重要な臨床判断です。不衛生で危険な環境下では、適切な疼痛コントロールも、精神的な安定も望むことはできません。環境整備は単なる療養環境の調整ではなく、利用者の生命の安全と人間の尊厳を確保するための、最も基礎的かつ優先されるべき治療的介入であると再認識させられます。
2.利用者の自尊心を守るための介入技法:役割分担による配慮と協働的アプローチ
元保健師である利用者の「自分でできる」という強い自尊心は、支援を受け入れる上での大きな障壁でした。これに対し、チームは二つのアプローチを用いました。 役割分担による配慮: 安全確保という喫緊の課題に対し、本人の自己決定権を最大限尊重するための手法です。利用者の注意を会話で引きつけている間に、他のスタッフが家族の同意のもとで環境整備を行うことで、利用者に「助けられている」という心理的負担を与えることなく、尊厳を守りながら安全な環境を確保しました。 協働的アプローチ: 「これはどうしましょうか?」と指示を仰ぐ形で、利用者を「片付けの主体」として位置づけました 。これにより、「支援される側」ではなく「指示する側」という役割を担ってもらうことで、自尊心を守りながら協力を引き出すことに成功しています 。これらは、心理的抵抗が強い利用者への介入における、極めて有効な「ノウハウ」です。
3.症状マネジメントにおける障壁の迂回:経口薬から経皮薬への変更
利用者が内服薬に強い抵抗感を示した際、チームは説得や強制という直接的な対立を避けました。代わりに、主治医と連携し、経口薬から経皮吸収型製剤へと投与経路を変更するという解決策を選択しました。これは、利用者の心理的障壁を正面から乗り越えようとするのではなく、それを巧みに「迂回」することで、疼痛コントロールという本来の治療目的を達成する、戦略的なアプローチです。利用者の心理的負担を最小限に抑えながら、最善の症状緩和を実現する、優れた症状マネジメントの一例と言えます。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/清水真保



