概要
他者との交流が少なく、身体的障害から叶えたい希望を諦めていた方に対する、コミュニケーションによる在宅でのケア事例。日中独居の90代女性へ訪問時の観察や会話をヒントに、生きる喜びを見出すサポートを行いました。また、深い理解と寄り添いから生まれた「聞き書き」※をまとめた冊子が、家族の心の支えとなり、自宅で看取ろうという決心の手助けにもなりました。
※聞き書き:語り手の話した言葉をそのまま書き止め、語り手が目の前で話しているかのような文章としてまとめる手法。みんなのかかりつけ訪問看護ステーションでは、ケアの一環としてご利用者さまやご家族といった「語り手」の気持ちを聞き、言葉という文章に代えて手紙に綴る取り組みを行っている。ときには語り手が胸の内に秘めた想いをすくい取ることで、意思決定支援の場面や、グリーフケアで活躍することがある。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 会話の中で利用者の「心の動き」から生きる希望を見出すヒント
- 家族への情報共有ツールとしての「聞き書き」の活用方法
- 意思決定支援における「聞き書き」の活用方法
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者
91歳女性。疾患特有の視覚異常や幻視、眼瞼下垂による色彩の異常あり。娘さん・息子さんとの3人暮らしだが、娘さんと息子さんは働いているため、日中は一人で過ごす。最低限の身体機能を維持するために週2回のリハビリ、月1回〜2回の看護で介入。開始から約2年1カ月後、状態悪化により入院となり、自宅看取りのため退院準備を進めている中、逝去。
2005年から病院の急性期、回復期、生活期のそれぞれで理学療法士として経験を重ね、うち7年は訪問リハビリを担当した。2022年デザインケア入職。セラピストとしてのポリシーは「在宅のオールラウンダーになること」。
背景:住み慣れない土地の日中独居で閉じこもりがちになっていたKさん
東日本大震災をきっかけに娘夫婦と同居することを決め、遠方より引っ越してきたKさん夫婦。しばらく4人で暮らしていたが、Kさんの夫と娘の夫が癌で相次いで亡くなり、その後、息子とも同居することになった。娘・息子ともに仕事があるので、日中はKさん1人で過ごしていた。伝い歩きでも身の回りのことはできていたが、その状態を維持するために週2回の訪問リハビリと月1回の訪問看護で介入が始まった。
同居のために転居してきたばかりの頃は、地域サロンに参加するなど外部とも交流していたKさんだった。しかし、金子PTが介入し始めた頃は、友人も近くにはおらず、疾患特有の視覚異常や幻視などの問題もあって閉じこもりがちになっていた。
希望:「最後まで自宅で家族と楽しく過ごしたい」
歩行時に軽度な息切れなどはあったものの、自宅内という慣れた環境では、ある程度自由に動けていたKさん。身体機能が徐々に落ちてきたことに関しても「90年も生きてきたんだから自然なこと」と受け止めており、「上野動物園の猿と同じよ、死ぬときは死ぬの」と話すなど、どこか達観している様子を金子PTは感じていたという。ただ「最後までトイレは自分で行きたい」という強い意志があり、トイレのたびに手すりで10回屈伸をするなど、普段の生活の中でも熱心に努力をしていた。そんなKさんが望んだのは「最期まで自宅で家族と楽しく過ごす」ことだった。
娘さんと息子さんの望みは「お母さんの好きなようにさせてあげたい」ということだった。二人とも母親思いで、できるならゆくゆくは自宅で看取りたいという気持ちはあったものの、フルタイムで仕事をしているため、すぐに介護に専念することができない。いずれ訪れる最期をどこでどう迎えるかを具体的に考えたり話し合ったりする時間もなかなか取れずにいた。

ケア計画:自宅での自立を保つことと楽しみを見つけることが目標
もともと別の訪問看護ステーションが介入していたが、事業閉鎖のため、みんなのかかりつけ訪問看護ステーションが引き継ぎ、週2回の訪問リハビリと月1回の訪問看護を継続し、マッサージやストレッチ、筋トレ、上肢挙上や深呼吸、バランス練習、体調によっては屋外歩行の練習を行った。息切れが増えたり、夜間の喘鳴が起こったりなど徐々に低下していくKさんの身体状況に合わせてリハビリの内容を随時変更し、スタッフや家族と情報を共有・相談しながら、訪問看護の回数も調整するようにした。
状況が変わったのは介入1年10カ月後、魚の骨が喉に刺さって咽頭浮腫で7日間入院となったときで、退院後しばらくしてK様の不調の訴えが少しずつ増え、慢性的な下腿浮腫も増大していく。退院後、急激にADL※が低下したが、本人と家族の強い希望でリハビリは続行することになる。娘さんからの信頼も厚く、「金子さんが来てくれれば母はわかると思うし、マッサージをしてもらえれば、身体が楽になるはずです」と言われ、他動的ROMや電話やメールでの家族への支援を中心に行なった。せん妄も出現し、いつもと大きく様子の異なる母親の姿に娘さんも息子さんもショックを受け、動揺が激しくなった。このとき、金子PTが続けていた「聞き書き」が役立つこととなる。
※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと
経緯:会話や観察を重ね、身体機能維持と望みや生きがいを見出す
まずは信頼関係の構築から
身体機能を維持するためのリハビリ計画と並行して、金子PTが最初から心を尽くしたのは、Kさんと良い関係性を築くことだった。心を開いて本音を伝えてくれるようになることで、Kさんにとって何が最適なリハビリになり、生きる希望になるのかがわかるからだ。
とはいえ、すぐに信頼関係を築けるわけではない。家に飾ってあるものや写真などもヒントにしながら、まずは「人となりを知る」「生きてきた日々を理解する」ことから始めた。幻視の症状があったKさんの目に見える風景、例えば埃が虫に見えたり、緑の帯が見えたりすると言うのを否定しないことも「この人はわかってくれる人だ」との信頼につながった。
訪問のたびに何気ない会話を重ね、Kさんが金子PTと打ち解けるようになると、戦中・戦後の厳しい体験や子どもの頃に疎開していたこと、結婚生活について、子どもたちへの率直な想い、夫を看取った話、人生の価値観など、次第に深い話が聞けるようになった。

※ハッピープロジェクト:「利用者様に笑顔や感動を与えられるようなことがしたい!」という社員の声が発端で始まった「みんなのかかりつけ」の活動。利用者様の誕生日や記念日を祝ったり、季節のイベントを企画して一緒に過ごしたりと、利用者様やご家族に笑顔を届ける小さなサプライズを、訪問看護スタッフのアイデアでお届けしている。
会話の中から生きる希望を見出す
外部との関わりがほとんどなくなってしまったKさんは、家族が出勤した後に寝室のある2階から降りてきて、用意されている食事を食べ、残りの時間は一人で気ままに過ごしていた。しかし、視覚に問題があり耳もよく聞こえないため、テレビを見ていてもよくわからない。週2回、金子PTが訪問する日は会話も弾んだが、「それ以外にも何か本人が積極的に取り組めて楽しめることがあるといいのに‥」と金子PTは思っていた。その解決のヒントになったのが、会話の中でKさんが「死ぬまでにネックレスなどのアクセサリーをほどいて散りばめ、何か作りたいと考えている」と話していたこと。部屋のあちこちに手作りの小物や人形などが飾られていることからも、Kさんが手芸好きなのだと思い当たる。早速、手芸をリハビリに取り入れ、季節のものを題材にクリスマスリースを一緒に作り、春には桜のクラフトを手がけた。Kさん自身もアイデアを出し、毎回楽しみに取り組んで、完成すると部屋に飾るなど、久しぶりに自分が好きなことをできる喜びを味わうようになった。

ACP※も意識した「聞き書き」の開始
人生観や子どもたちへの想いなど、Kさんが大切なことを話すことが多くなってくると、「これは形に残しておかなくては」と、金子PTは決意する。「91歳という年齢を考えると、いつ何があってもおかしくはない。グリーフケアになることも考え、今のうちにいろいろなことを聞いておこうと思いました」。
家族のいるタイミングで金子PTが訪問することはほとんどなかったため、娘さんが作った連絡ノートで細かくやり取りはしていたが、実際に顔を合わせて最期について話し合う機会はなかなかなかった。そういう背景もあり、これから先のことについてKさんが話したことは必ず書き留めた。例えば、魚の骨が喉に刺さって1週間ほど入院した時のことを振り返って、「もう入院したくない」「入院したら家族と全く会えないでしょう」「うちにいられるんならうちにいる方がいい」など率直な気持ちを話していたのだ。
※ACP:アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)の略称。将来の変化に備え、希望する医療及びケアについて、 本人を主体に、その家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援・共有する取り組みのこと。
せん妄状態に動揺する家族のために
短期入院後からKさんは不調を訴えることが増えていたが、その後ADLが低下してゆく。2階の寝室から降りられなくなり、自力でのトイレ移動も難しくなる。そこで、2階のトイレまでの廊下に置き型手すりを配置する環境整備を行い、息子さんも介護休暇を取得してKさんに付き添った。しかしせん妄が生じた母の、普段とあまりにもかけ離れた姿に、家族、特に一緒に過ごしていた息子さんがどうしたらいいか分からず動揺してしまう。そのとき金子PTが思い浮かべたのが「聞き書き」だった。「K様がどれほどお子様たちのことを思っているかを知っていただければ、お二人の気持ちも落ち着かれるのではないか、と考えたんです」。娘さんや息子さんへの思い、人生や好きなことについて、自分の体調、入院時の経験など、まるでKさんがその場で語りかけてくるかのような「聞き書き」を冊子にまとめて二人に手渡した。 それまで金子PTは、聞き書きは主にグリーフケアの際に使っていたが、今回のケースでは、この時に渡すべきだと判断。もし自分が同じ状況になったら、親が亡くなった後に「生前に親の気持ち知っておきたかった、そうすればもっと違う接し方もできたのに」と、後悔するかもしれないと考えたのだ。

「うちにいたい」気持ちを尊重したい
この頃Kさんは心身ともに状態が悪化しており、最期をどう迎えたいかという本人の意思を確認することが難しくなっていた。また家族の気持ちも揺れていた。家で一緒に過ごしたいが仕事もある。自宅での看取りは現実的に可能なのか。そこでも助けになったのが聞き書きの冊子だった。
「入院したら家族と全く会えないでしょう」「うちにいられるんならうちにいる方がいい」と書かれたKさんの希望を見た家族は、入院するという決断をするまで、最大限の努力をして、残された時間を家で共に過ごすことができた。その後、入院することにはなったが、最期は自宅で看取ると決意し、退院準備をしていた矢先にKさんは病院にて逝去する。結果的に自宅には戻れなかったものの、家族は「できる限りのことはした」という思いを持つことができた。
振り返り:深い観察力から築いた信頼関係がACPやグリーフケアへ繋がった
一緒に暮らしていても、親の人生観や、自分のことをどう思っているのかを直接聞くことはあまりないのではないだろうか。そういう意味でもKさんの思いを冊子という形で受け取ることができたのは家族にとって嬉しいことだったに違いない。「父や夫のときにはなかったけれど、母の言葉は金子さんが残してくれた」「母の言葉を残してくれてありがとうございます」と感謝の言葉をかけられて、金子PTも感動したという。
家族の心に染みるような話が聞けたのも、Kさんの言葉を否定せずに受け入れて、時間をかけて少しずつ関係を作り上げ、いろいろなことを率直に聞けるようになっていたからだろう。歩んできた人生に経緯を払い、その価値観や死生観を含んだアセスメントを行うことで、真の意味で寄り添うことができていたからこそのケア事例と言える。
利用者様・ご家族の声
「在宅介護と看取りを選んだのは、やはり最期まで家にいたいという希望する母という存在があったからです。訪問看護の皆さんが、⺟の話をよく聞いて、⺟の考えに寄り添っていただいたことに感謝しています。私たち家族の思いを丁寧に聞いてくださって、適切に専⾨的なアドバイスをいただきました。どんな不安にも、夜中でもすぐに対応していただけたことは本当に安心できました。主治医の先生などの医療機関・ケアマネさんとの橋渡しをしていただいたことがとても心強かったです。
退院できるものと思っていたために、まだ少し後悔が残っていますが、最期の瞬間は誰にも予期できないものです。家族を看取った経験をこうして色々な方にお伝えしていきたいと思っています。」
(娘様)
まとめ
(この症例のポイント)
- 身体面でのアセスメントに留まらず、これまでの人生、価値観、死生観といった精神面でのアセスメントを行うことで、信頼を獲得した。
- 会話の中で利用者の「心が動いた」ところを見逃さず、身の回りのものもよく観察する。そこに生きる希望を見出すヒントがある。
- 利用者の率直な心情を記した聞き書きがACP、グリーフケアだけでなく、せん妄状態に動揺した子供に親が持つ思いを知ってもらうのに役立った。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本症例は、利用者本人の「家にいたい」という願いと 、せん妄の出現などにより家族が在宅看取りの決断に揺れ動く状況に対し 、理学療法士が「聞き書き」という手法で利用者の真意を記録・伝達することで、家族の代理意思決定を支援した、示唆に富むACP(アドバンス・ケア・プランニング)の実践です 。このプロセスは、リハビリ専門職が、身体機能への介入を超え、いかにして利用者と家族の終末期における意思決定の「橋渡し役」となり得るかを、我々に明確に示しています。
1.全人的理解に基づいた治療的関係の構築
本症例の介入の基盤は、ADLや身体機能といった指標の評価に留まらず、患者の生活史、価値観、死生観を含む全人的なアセスメントを行った点にあります。セラピストは、患者が歩んできた人生の旅路そのものに敬意を払い、その独特なペースに自らを同調させました。これは、単なるラポール形成に非ず、その人の「ありたい姿」を深く洞察するための、極めて重要な治療的プロセスです。この深いレベルでの理解と共感が、「伴走者」として寄り添うための信頼関係の礎となりました。
2.存在意義を支えるための介入パラダイムシフト
本症例は、介入の目的が、身体機能の回復からQOL(生命の質)の最大化へといかにしてシフトするかをクオリティ高く展開しています。 ・機能回復が主目的ではない局面での介入: 機能的な改善が危機的状況への介入に達したとき、専門職の役割は終わるわけではありません。むしろ、そこからが「ケア」の真価が問われるフェーズにはいります。 ・「存在意義」へのアプローチ: 「アクセサリーで何か作りたい」という本人の希望は、彼女の「存在意義」そのものでした。セラピストは、クラフト作りという具体的な介入を通じて、彼女が人生の最終段階で喜びと達成感を得られるよう支援しました。これは、機能回復を目指すアプローチとは次元の異なる、明確な治療的介入です。
3.危機的状況における家族システムへの介入
本症例の成功の鍵は、患者本人へのケアに留まらず、家族というシステム全体を支援対象として捉えた点にあります。 ・役割の進化: セラピストの役割は、患者個人の「伴走者」から、危機に瀕した家族システム全体を支える「橋渡し役」へと進化しました。 ・クライシス・インターベンション(危機的状況への介入)の実践: 患者がせん妄に陥り、家族が精神的に動揺した際、書き溜めた本人の言葉の記録(冊子)を提供しました。これは、情報提供という機能だけではなく、混乱する家族の精神的安定を図るクライシス・インターベンションであり、同時に、本人の真の願いを伝えることで、家族の代理意思決定を支える強力な根拠となりました。専門職は、患者の状態変化に応じて、その役割を柔軟に変化させ、家族を含めた全体を支援する視点が不可欠です。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/清水真保



