概要
がん末期、緩和病棟への入院待ちで自宅に帰ってきた方と家族が、生活の楽しさを見つけ、最終的に在宅看取りを選択した事例。最初は、家族も安全を考慮して行動を制限しがちであり、本人も希望を失いかけていた状況。担当看護師が利用者様の「好きなこと」を見つけてケアに取り入れたことをきっかけに、本人の意思が引き出され、ひいてはご家族の心まで動かしたプロセスを紹介します。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 緩和ケア病棟から在宅看取りに切り替えた意思決定支援のプロセス
- 「好きなこと」をケアに取り入れ、終末期のQOL※を高めた具体的な方法
- 本人の潜在的希望を代弁し、家族を巻き込む専門職としてのあるべき姿
※QOL:「Quality of Life」の略で「生活の質」「人生の質」の意。個人が感じる日常生活の満足度や幸福度を指す主観的な概念。
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

69歳女性。夫と二人で愛犬と暮らす。次男一家が近隣に居住。膵頭部がん末期で骨転移あり。緩和ケア病棟入院のための自宅待機という形で2020年2月から在宅療養。病気の進行により2020年6月に自宅にて逝去。

病院、クリニックを経て訪問看護師として勤務。2020年株式会社デザインケア入職。看護師歴20年、訪問歴8年。その方の人生の歩みを大切にし、良い時も悪い時も寄り添える看護師でありたい。
背景:緩和ケア病棟への入院待機として始まった在宅療養
諸木早苗さんが膵頭部がんと診断されたのは2016年。手術や抗がん剤治療、放射線治療を受けるも病状は進行して骨にも転移、2019年ごろには末期の状態になり、緩和ケアへの移行が選択された。緩和ケア病棟が空くまで一時的に在宅療養することとなり、住み慣れた家に帰って夫と愛犬との二人暮らしが再開。近隣に住む次男家族、中でも次男の妻はよく様子を見に訪れ、遠方に住む長男も時間を見つけては母の見舞いに来ていた。そんな中、看護師が毎日訪問してケアを行なっていたが、強い痛みに悩まされる早苗さんへの医療用麻薬による疼痛コントロールは難航していた。当初の早苗さんは腰をさすりながら「痛い、痛い」「しんどい」と言ってうずくまっていることが多く、表情も硬く笑顔はあまり見られない状態。介入から約2カ月後の2020年4月から訪問看護チームに加わった看護師の蟹江志保は、「居室は陽が射すサンルームのような明るい部屋だったのですが、その中で一人暗い顔をして座っている早苗さんの姿が、かえって痛々しかった」と当時を振り返る。
希望:「家族に任せる」という言葉に隠れていた「自宅で過ごしたい」本心
夫の學さんは、自身も肺がんの手術後で体力に不安があった上、「妻の死を考えられない」「家で看る自信がない」と語っていた。次男も「父に母を看るのは無理」と考えていたため、当初は在宅での看取りは想定していなかった。また學さんには「病人は無理をしてはいけない、寝ているべき」という考えがあり、早苗さん自身もそれに従っていた。そのため自らの本当の希望を語ることはなく、ただ「どちらでもいい」「お父さんに任せる」と周囲に委ねるような態度をとっていた。しかし、蟹江看護師には違和感があった。訪問看護で接する中で、孫や飼い犬の話をするときは表情が明るくなり、「やっぱりうちが好きなんだよね」と話したこともあったからだ。
ケア計画:日常生活における「快適さ」を取り戻してほしい
介入当初、体調管理、保清、薬剤管理のため看護師が週4〜5日のペースで関わっていた。訪問看護チームは、医療的な処置はもちろん、入浴介助や整容など、日常生活における「快適さ」を取り戻すことを意識したケアにあたった。週2〜3回のペースで訪問していた蟹江看護師は「無表情で、自分の意思を表現しない現在の早苗さんは、本来の姿ではないのではないか」と感じるようになった。どうにか本当の気持ちを引き出せないかと模索する中で、早苗さんが花を好きだということに気がつく。そこで、花や香りに関わるアプローチをケアに取り入れることを提案、少しずつ実践していった。

※グリーフケア:大切な人を失った深い悲しみ(グリーフ)を抱える人に寄り添い、その心の回復と立ち直りを支援するケア。訪問看護ではご逝去後にご自宅を訪問し、ご家族との会話等を通して行うことが多い
経緯:サフィニアの世話を通して、苦しみの日々の中に希望が芽生える
きっかけは玄関先の枯れかけたパンジー
元気な頃の早苗さんはどんな人だったのだろう、早苗さんが自分らしさを取り戻すには、どうしたらいいのだろう−−そんなことを考えながら訪問を続けていた蟹江看護師は、ある日、玄関先に設けられた花壇に、手入れのされないまま枯れかけたパンジーが植えられているのを目にした。今はその面影を失っているが、きっとこのパンジーは早苗さんが愛情を注いで育てていたのだろう。そして蟹江看護師は、早苗さんがガーデニングの話をしていたことや、花の話題になると笑顔が見られたこと、意識が混濁した時に花の話題になると意識が回復したことを思い出し、「この人は、花が好きなんだ」と気づいた。
そう思って改めて見回すと、家の中は明るいピンク色を基調としたインテリア、早苗さんが着ているのは、かわいらしい柄のパジャマ。浴室には香りの良い上質なシャンプーや石鹸が揃えられ、入浴ケアの時には蟹江看護師もその香りに癒される思いがした。また、早苗さんは訪問の最後には必ずお茶を淹れてティータイムを設け、子育ての悩みを相談すると「そのままでいいよ」と優しく声をかけてくれる。そんな姿を見ていた蟹江看護師は、「寝て、起きて、食べて、また寝て、というだけの日々を過ごしているのは、あまりにも早苗さんらしくない」と思うようになる。この人はもともと誰かを支える側の人であり、自分自身のためにも丁寧に生きてきた人なのだと考えた。
息子から贈られたサフィニアの手入れが転機に
2020年5月初旬、病状の進行によって身体的な状況が悪化する中でも、早苗さんの「花」や「香り」への反応が良いことから、訪問看護チームは日々のケアの中で花や香りに関わるアプローチを増やしていった。花の折り紙を一緒に折ったり、保清ケアの時には香りの良い保湿剤やシャンプーを使って香りを楽しんだりと、小さな工夫を重ねていく。しかし、學さんは、そうしたちょっとした活動にも消極的で、依然として「病人は無理をするな」「寝ていればいい」という考えだった。
そんなある日、ダイニングテーブルの近くに置かれたサフィニアの鉢植えが蟹江看護師の目に入った。聞けば結婚記念日に息子からプレゼントされたものだという。そこで、早苗さんに「このお花、ちょっと元気がありませんね。一緒に手入れしてみませんか?」と声をかけてみた。当時は傾眠が強く、うとうとしていることが多かったが、その時は目を覚まして「いいね」と一言。そこで、蟹江看護師が鉢をダイニングテーブルに運んで準備を始めると、早苗さんはむくりと起き上がり、なんと自ら椅子に座って「何をしたらいいの?」とハサミを手に取ったのだ。「私がやるから、見ていていいですよ」と言っても、自分からハサミを手に取るその姿には、明らかに早苗さんの「やりたい気持ち」が現れていた。
花を愛でる姿を見て夫の気持ちも変化。花の手入れが夫婦の日常に
花の手入れを始めた早苗さんを心配そうに見ていた學さん。最初は「ハサミはやめたほうがいい」「疲れるからやめておけ」と言って制止しようとしていたが、蟹江看護師が「大丈夫ですよ、私が見ていますから」と声をかけると、少し離れたソファに座って静かに見守るようになる。いずれは花の手入れを學さんに託そうとの思いから、蟹江看護師は水やりの方法や肥料のことを學さんに教えた。心から花を愛でる早苗さんを見ていた學さんの心は徐々に動かされ、いつの間にか花の手入れが夫婦の日常になっていた。
美しく蘇っていくサフィニアを早苗さんの生きる希望に重ねるように、「明日はこの蕾が咲きそうですね」「来週には脇芽が出るかな」など、近い将来に起こりうることを伝えながら一緒に手入れをしていた蟹江看護師。この頃、學さんに「来年も咲かせましょう。そうすれば、早苗さんがここにいた証がずっと残ります」とも伝えていた。
「私、家で過ごしたい」の言葉から、家族全体が在宅看取りへと方針転換
日々サフィニアの手入れを続けるうち、早苗さんは看護師が訪れる前にテーブルに移動して一緒に手入れをするのを待っていたり、看護師が訪問しない時にも自ら花の手入れをしたりするようになる。強い眠気のため、会話中でさえ焦点が合わなくなることのある早苗さんだが、花の手入れをするときだけは表情が明るくなり、笑顔も見られるのだった。
花の手入れをケアに取り入れてからの数週間の間に、こうした行動の変化だけでなく早苗さんの気持ちにも変化が見られるようになった。5月中旬のある日、それまでは自分の意思を語ることのなかった早苗さんが、蟹江看護師の前で「私、家で過ごしたい」と、はっきりと口にした。
緩和ケア病棟への入院を前提としていた學さんは、この言葉を聞いて大いに迷ったが、最終的には「本人の希望を尊重したい」という答えを出す。この数週間、痛みを抱えながらも楽しそうに花を手入れする姿を見ていた學さんの気持ちが、「早苗さんが楽しいことをさせてあげたい」から、さらに「本人が希望するなら、家で過ごさせてあげたい」へと変化してきたのだ。その思いに呼応するように息子たちも「父に任せます」と支える姿勢を示す。家族全体が「入院」から「在宅での看取り」へと大きく方針転換した瞬間だった。
自宅で家族全員に見守られながらの穏やかな最期
6月に入ると早苗さんの体調は徐々に弱っていったが、花の手入れのために自らダイニングテーブルへ向かうことを欠かさなかった。そして訪問看護の最後は、相変わらず看護師とのティータイムでおしゃべりを楽しんだ。早苗さんに笑顔が戻ったことで學さんの言動も明らかに変化した。例えば、早苗さんが洗濯物を干した後に疲れ切って眠ってしまったときのこと。かつては「病人は休んでおけ」と言っていた學さんが、その時は制止せず黙って見守っていた。また、亡くなる数日前には學さんが早苗さんの手を握って「本当に家族になれてよかった」と感謝の気持ちを伝えていた。“昔気質の不器用なお父さん”だった人がそんな風に“告白”するのを見た蟹江看護師は「早苗さんへの何よりのプレゼントだったと思います」と回想する。
終末期は學さんが一人で看るには体力的にも精神的にも厳しくなり、長男と次男が交代で泊まりに訪れるなどして、家族全員で早苗さんをサポートした。最期の日、息子たちが二人とも実家を訪れて部屋で歓談していたところ、早苗さんの呼吸の乱れに気づいてすぐに家族を呼び寄せる。夜間だったが、早苗さんは家族全員に見守られながら、穏やかに息を引き取った。

振り返り:「その人が大切にしていることを一緒に大切にする」ことが家族全体の希望に繋がった
数週間後、蟹江看護師がグリーフケアで再訪した際、學さんはあのサフィニアの鉢を大きな鉢に植え替えながら「来年も咲かせたいので、どう手入れしたらいいか教えてください」と話した。それを聞いて彼女は、この人にサフィニアを託して良かったと改めて思った。「サフィニアは夏の花なのですが、来年の夏にはもう早苗さんはいないだろう。その時にご主人に後悔してほしくなかったので、ご主人に花の世話を受け継いでもらおうと思ったのです。このサフィニアが1年後も2年後も花をつけてくれれば、早苗さんがここで生き続けられるでしょう」と振り返る。
蟹江看護師にとっては今回のケースが初めての在宅看取りで、正直なところ不安も大きかった。しかし、「ただそばにいて、ほんの少しだけ手を添える」というスタンスで、五感を通じて心を通わせ、その人が大切にしていることを一緒に大切にすることで、本人だけでなく家族の生きる希望をも支えることができた。「誰も置いてきぼりにしない」という信念のもとに関わったことで、早苗さん本人も、學さんら家族も、自分自身も救われたと今では感謝している。そして、改めて看護という仕事の魅力を実感した経験でもあった。
ご利用者様・ご家族の声
母の介護をしていた時期、とても印象に残っている父の言葉があります。
「おーい!トイレの電気、つけっぱなしだぞ!」
なんてことのない会話なんですけど、思わず笑っちゃうでしょう? でも父にとっては、家にいたからこそ、今までと同じように会話ができて、同じように接することができた。それが何より嬉しかったんだと思います。
母が痛がっているときに一晩中腰をさすったりとか、僕たちにも父にも、辛いこともたくさんありました。でも不思議と後悔はないんですよね。在宅看護では、身体の介護はもちろん、花の世話や折り紙の作品を作るなど、心のケアもしていただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました。
ちょうどコロナ禍で子どもたちの学校が休みだったこともあって、家族は毎日のように母の家に顔を出すことができました。在宅看護だったから間近で見ることができたのであって、入院していたらできなかった経験でした。実は、その経験から子どもたちの将来の夢が決まったんですよ。上の子は理学療法士を目指して、下の子は看護師を目指して、それぞれ大学に通っています。あのとき在宅看護を選んだことが今に繋がっていて、嬉しいですね。
母が亡くなったのは真夜中のことでした。僕たち兄弟でお酒を飲みながら、母のベッドの隣で、他愛もない昔話をしていたときに息を引き取りました。穏やかな最期でした。もし病院にいたらできなかった最期だったと思っています。
次男様
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者の日常をつぶさに観察することで、本人の大切にしていること、好きなこと(このケースでは花や香り)を見つけ、ケアに取り入れた。これにより苦しみの中にあっても笑顔でいられる時間を作ることができた。
- 利用者が笑顔で前向きに過ごす時間の共有を通して、そっと背中を押しながら本人の「やりたい気持ち」を丁寧に汲み取り、自然な意思表明に繋がった。
- 「死を待つだけの存在」から「未来への希望に繋がっていく人」への価値観の変容を促す関わりを、家族も巻き込みながら実践したことで、ケアする側も支え、後悔のない看取りに繋がった。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本症例は、緩和ケア病棟への入院待機という状況から、患者と家族が希望を見出し、在宅での穏やかな看取りを実現した貴重な記録です。
1.意思決定の焦点を「場所の選択」から「生き方の探求」へ転換させるアプローチ
終末期において、患者・家族の会話は「どこで最期を迎えるか」という場所の選択に陥りがちです。
しかし本症例の核心は、看護師の介入により、その焦点を「どのように生き、最期を迎えたいか」という患者自身の「ありたい姿」の探求へと意識的に転換させた点にあります。
この視点の転換は、「妻の死を考えられない」「家で看る自信がない」と語っていた夫の意思決定パターンにも変容をもたらし、妻の希望を尊重するという新たな家族の在り方を引き出す契機となりました。
2.「希望の媒介」としてのケア介入
患者の「ありたい姿」を探求する上で、サフィニアの花の手入れという介入は、園芸療法以上の役割を果たしました。患者の希望を再発見させるための「媒介物」として機能したのです。
・過去との接続: 元々花が好きだったという患者の価値観(過去)と現在を結びつけました。
・未来への接続:「明日はこの蕾が咲きそう」「来年も咲かせましょう」という未来に向けた会話は、「死を待つ」という受動的な状態から、「未来へ希望を繋ぐ」という能動的な状態へと患者の意識を変容させました。
土に触れ、花の成長に心を配るという行為は、患者にとって希望を取り戻す具体的なプロセスとなりました。
3.潜在的希望を代弁し、家族システムを動かす専門職の役割
終末期の患者は、身体的苦痛や家族への遠慮から、自らの真意を表出できないことが少なくありません。本症例の患者も、当初は「家族に任せる」と本心を語りませんでした。このような状況でこそ、専門職の役割が重要となります。看護師は、非言語的コミュニケーションを含む細やかな観察から患者の潜在的な希望(花や香りへの関心)を探り出し、それを具体的なケアとして提案しました。専門職が患者の希望を引き出し、その実現可能性を示すことで、患者本人だけでなく、当初は消極的だった夫をも巻き込み、家族というシステム全体が「在宅看取り」という新たな目標に向かって動き出す原動力となったのです。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/金田亜喜子



