概要
コロナ下での入院で家族に会えず衰弱。自宅での看取りを想定して退院された方が、行きつけの喫茶店へ行ったことで体調が回復した症例。86歳の男性(利用者様)と家族の「行きつけの喫茶店でコーヒーが飲みたい」という退院時の希望を叶えたことをきっかけにスタッフも驚くほど回復。本人も家族にも笑顔が増え、余命1カ月と言われた退院から4年後にご自宅で逝去されました。「生きる希望」のケアの大切さが感じられる象徴的な事例です。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 余命を伝えられた後に「生きる希望」を叶えることで、QOL※と身体機能が回復したプロセス
- 本人の意思確認が困難な状況下における、意思決定支援の具体的な方法
- カテーテル自己抜去という状況から、外出を実現させた迅速な多職種連携の実践例
※QOL:「Quality of Life」の略で「生活の質」「人生の質」の意。個人が感じる日常生活の満足度や幸福度を指す主観的な概念。
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

86歳男性。妻と二人暮らし。3人の娘は遠方と近距離に居住。アルツハイマー型認知症。虫垂炎の手術後、腹膜炎となり衰弱。余命1カ月の診断をうけ、妻の強い希望で自宅看取りも想定し退院。その後、思わぬ回復をみせ4年後に自宅にて逝去。

高校卒業後、大工として3年働いたあと看護学校へ。卒業後、急性期病院の血管造影室2年、循環器内科・腎臓内科4年の経験を経て2015年より株式会社デザインケア入職。その後、一度離職し2021年に株式会社デザインケアに再入職。看護師歴16年、訪問看護師歴9年。大切にしている看護観は「利用者様の求めていること、ニーズは何かを捉え、相手に合わせた対応を心がける」。
背景:3カ月の入院でほぼ寝たきりに。経口摂取を拒否した状態での退院
加藤秀明さんは80歳の頃にアルツハイマー型認知症と診断されたものの、その後も近所への外出や家族と一緒の行動を楽しむなど、比較的元気な日常を送っていた。ところが86歳の時に虫垂炎で入院することとなり、術後に腹膜炎を併発。絶飲食を指示され、その状態が続いたため経口で栄養を摂れなくなってしまう。水分や栄養補助食品を摂ることを促されても口を塞いで拒否し、飲むことができない。栄養摂取のため腕に点滴をし、抑制ミトンも着けていたため、約3カ月に及んだ入院中はほぼ寝たきりに近い状態だった。また家族と過ごすことが秀明さんの生きる希望だったが、コロナ禍での入院で面会ができなくなったことで家族の心配も募っていった。秀明さんの認知症を入院前から診ていた主治医に奥様が不安を打ち明けたところ、「そういう状況なら家でみてもいいのではないか」とアドバイスを受け、3人の娘さんとも話し合って在宅看護を決意する。その際、奥様はすぐに看取るような状況にはならないと思っていた。
希望:「いつもの喫茶店で妻と一緒にコーヒーが飲みたい」
秀明さんと奥様、東京・名古屋在住の3人の娘さんとは関係性も良好で、退職後は奥様と旅行によく出かけるなど、活動的な日々を過ごしていた。認知症を患ってからは旅行の機会は減ったものの、奥様と二人で自宅から徒歩5分ほどの喫茶店に週3回ほど通い、決まった席でモーニングを食べて常連の人たちと話すことを楽しみにしていたという。退院前カンファレンスで退院後何をしたいか尋ねられたとき、秀明さん自身に確認することは認知症もあって難しかったが、秀明さんの気持ちをよく知る奥様からも「いつもの喫茶店で一緒にコーヒーが飲みたい」という言葉が真っ先に出た。
自宅での看取りについて、カンファレンス時に具体的な話がされることはなかったが、秀明さんが認知症になる前、先々のことについて家族で話し合った際に、「胃ろうや鼻からチューブを入れることはしないでほしい」と頼まれていたという。それもあって、「自宅で看たいから」と奥様が秀明さんの退院を強く希望したときは、「点滴に頼らず自然な看護で、口から栄養が摂れるようになれれば」というつもりでいた。
しかし退院後、在宅医から「何もしないと余命は1カ月くらい」と言われて大きな衝撃を受ける。「点滴なしでも3カ月くらいは・・・」と思っていた奥様にとって、1カ月は短すぎた。
ケア計画:短期的には点滴→経口摂取、長期的にはコーヒーを飲むことを目標に設定
「点滴を受け入れることで余命が伸びるのなら」と、PICCカテーテル※で高カロリー輸液を行うことに家族も同意し、訪問看護ステーションの看護師が毎日訪問して奥様に輸液交換や日々の管理などの指導を行なった。岡西看護師はそのうち週2〜3回を担当した。
また介入当初の看護・リハビリの短期目標を「経口から3食摂取すること」「転倒やチューブ類の抜去を予防する」「離床機会の確保をしていき基本動作や移乗動作が奥様による介助でも行える」に、長期目標を「自宅で安心して過ごすことができること」「妻と一緒にコーヒーを飲むことができること」と設定する。
※PICCカテーテル:腕の静脈から挿入して心臓近くの中心静脈に留置する、細長いカテーテルのこと。正式名称は「末梢挿入型中心静脈カテーテル(Peripherally Inserted Central venous Catheter)」。高カロリー輸液や化学療法など、長期間にわたる点滴治療に用いられる。
経緯:喫茶店へ行く目標の実現と、もたらした効果
退院16日目にカテーテルを自己抜去
自宅に戻ってからの秀明さんには大きな変化は見られず、退院してきたという自覚もないようで、無表情で過ごしている時間が長かったという。立ち上がれなくてもベッドの横に座ることはできるし、岡西看護師が挨拶すると「こんにちは」と返してくれはするものの、しっかりとした会話は難しく、その状況は家族とも変わらなかった。
「自宅ではあまり抑制的なことはしたくないから」と、在宅医と相談しながら、ミトンの代わりにテープで固定したり、タオルで点滴部を隠したり、袖口を縛って手が入らないようにしたりなど、安全を守るために岡西看護師と奥様でいろいろと工夫を重ねた。しかしその甲斐もなく、介入16日目に秀明さんがPICCカテーテルを抜いてしまう。
迫られた決断
PICCを続けるかどうかの決断を家族が迫られる中、岡西看護師はまず家族への正確な情報提供に努める。もともと認知症になる前から、本人と家族の間で「看取りでは積極的なことは何もしない」と決めていたのだが、岡西看護師から改めて「胃ろうを作ったり、鼻からチューブ入れたり、もう1回カテーテルを入れる選択もある」ことを提案する。
「栄養を入れ続ければ、すぐにお看取りという状況にはならないだろうと思いましたし、医療者としての意見も言いたくなりましたが、それでは押しつけになってしまう。決断をするのは最終的にはご家族ですから、点滴を続ける場合とやめる場合それぞれのメリットとデメリットをしっかりお伝えし、ご家族やご本人が後悔のない選択ができるよう、寄り添うことを心掛けました」。
しっかりと話を聞き、家族で3日間ほど話し合った結果、何もせず、なるべく口から栄養が摂れるように頑張るという結論に至る。
喫茶店訪問
家族の決断を待ちながらも、岡西看護師は、この状態が続くと短期間で栄養状態が悪化し脱水も進んで動けなくなる可能性が高いと判断。そして「喫茶店に行きたい」という退院時の希望をすぐに実行しようとチームで計画を立てた。
その頃の秀明さんは、点滴以外だと水分も栄養剤も1日100ml、200mlがやっとだったので、このままだと脱水も進み、低栄養になって、車椅子にも乗れない状況になる。ゆっくり準備する時間はない。チームで連携をとり、実現に向けて準備を進めた。
秀明さんが自己抜去したのは金曜日の夜。翌土曜日と日曜日には看護スタッフが訪問し、秀明さんが車椅子に乗れるか、車椅子で家の外に出られるかを確認。月曜日にリハビリスタッフがどれだけの時間、車椅子の座位をキープできるかの評価を行い、これなら大丈夫そうだと判断する。続いて喫茶店まで車椅子でどう移動するか、道のりや段差のチェックをし、店主にも秀明さんが訪れても大丈夫か確かめた。同じ日に在宅の主治医に許可を取り、ケアマネージャーにも経緯を報告。火曜日には秀明さん、奥様、岡西看護師ともう1名の看護師、リハビリスタッフの計5名で喫茶店に行くことができた。金曜日夜のカテーテルの自己抜去後、チーム全員ですぐに状況を理解し、最短で「喫茶店に行く」ためにしなければならないことを共有できたため、4日目というスピードでの実現となった。
この時、岡西看護師にはもう一つ「秀明さんが家に帰れたことが家族のいい思い出になった、と言える時間を作りたい」という思いもあった。せっかく家に戻れたのに、奥様に「点滴を抜いてしまったのは自分のせいもある」という負い目だけが残るようなことにはしたくなかったのだ。秀明さんが楽しい時間を過ごせれば「病院から家に帰れてよかった」と家族が思うことができ、グリーフケアにもつながるはずだと考えていた。
自分で飲めた! 周りの驚き
周到に準備をし、行きつけの喫茶店に向かった当日。奥様やスタッフに付き添われ、車椅子で喫茶店に入れたことを奥様やスタッフが喜んでいたとき、秀明さんは目の前のコーヒーに、自分で砂糖を2杯入れてかき混ぜた。それだけでも驚きだったのに、少し経つと自然とコーヒーを2口、飲んでいる! よく通っていた喫茶店の雰囲気、コーヒーの香り、店主との挨拶などが刺激になったのだろうか。まさかそんなことができると思っていなかった奥様は、驚きの声をあげ、満面の笑みを浮かべた。
この外出が大きなきっかけとなって、秀明さんの活動の幅が一気に広がっていく。


喫茶店を訪れた時に、車椅子に1時間近く座っていられたこと、また飲む量も1日100ml、200mlだったのが、400mlと増えたことで、「この状態ならデイサービスにも受け入れてもらえるのでは?」とケアマネージャーに情報を共有し相談。主治医からも、「認知機能が原因で食べられないのなら、刺激を増やす方がいいかもしれない」との意見があり、翌週からは週1回のデイサービスに通えるようになった。
介入から2カ月後には看護・リハビリの目標も、短期を看護:「水分計1000ml、栄養補助食品(イノラス)600ml摂取することを継続することができる」リハ:「車椅子操作が奥様介助でも行える」「離床機会の確保」に、長期を看護:「自宅で安心して過ごすことができる」リハ:「奥様介助で喫茶店など外出が行える」に変更された。
驚くべき回復
ずっとベッドにいることもなくなり、喫茶店訪問から約3カ月後には少し離れたところのソファに座るなど離床時間が増える。退院直後は一言の挨拶がやっとだったのが、笑顔で昔の話ができるようになり、時には冗談を言って奥様と笑い合っていることもあった。リハビリスタッフとの車椅子の外出ができるようになり、次の段階は歩行訓練を兼ねて室外歩行を試みる。その結果、約5カ月後には単独で50m、その1〜2カ月後には、休憩を挟みながら400mほど歩けるようになる。喫茶店にも桜が咲いたからとか、誰かの誕生日だからなどのきっかけがあると、スタッフが同行して訪れていたが、約半年後には奥様と二人だけで出かけるようになった。車椅子で寝たきり状態だったことを考えると、驚くほどの回復と言えるだろう。

経口で栄養も摂れるように
喫茶店訪問後、少しずつ水分や栄養の摂取量も増えてきた秀明さん。退院時の体重を保つため、1日にイノラス900kcalと水分1L程度を当初の目標にしていたが、それもクリアする。退院当初から点滴だけでなく経口での栄養摂取を目指していたため、食べられない原因は嚥下機能の低下なのか、好き嫌いなのか、場所のせいなのかをみんなで探り始めており、奥様もイノラスを固めてアイスにする、食卓に連れていってみるなど試行錯誤を重ねた。最終的には、認知機能の低下で食事が受け付けられなくなっているのではないかという評価になり、食事らしいものを食べられるようになることが次の目標になった。料理好きの奥様は「自分で作ったものを食べてほしい」という願いもあり、ペースト状から刻み食へと変わる食事形態に合わせた作り方を勉強した。努力の甲斐があって退院後1カ月後にはとろみなしの水分を摂取できるようになり、2カ月後には普通食を食べられるまでになった。スタッフも嚥下の訓練や、食事形態が変わるときには誤嚥の評価をするなどのサポートをし、3カ月経つ頃には少量ずつながらカステラやカレーを食べられるまでになる。体重も一番落ちた時より10kg近く増えた。
退院後4年間自宅で過ごし、逝去
その後の秀明さんは、穏やかに自宅で奥様と過ごされていたが、徐々に体力が低下し、退院から4年後に自宅で逝去する。トイレにもギリギリまで自分で行っており、奥様がオムツ交換を看護師に教えてもらってできるようになったところだった。亡くなる前週までデイサービスにも通っていたという。エンゼルケア後、「明日看護師さんに頭を洗ってもらうのを楽しみにしてたんです。」とのことで洗髪を実施する。「丁寧に髪も洗ってもらって」「本当に後悔はないです」と家族には明るく笑顔で感謝された。
振り返り:多職種全員で知恵を出すことで最善のケアを提供
退院時ほぼ寝たきりの状態で、経口での栄養摂取もできなかった秀明さん。「いつもの喫茶店に行ってコーヒーを飲みたい」という(その時の)最後の願いを叶えたことをきっかけに、素晴らしい回復を見せ、最終的には、退院から4年後までご自宅で過ごすことができた。「環境で認知症は変わると言いますが、やはり関わり方がとても大事なのだと実感しました。私たちも環境調整はしますが、奥様が認知症の人への言葉かけや、見ている世界を周りがどう理解するかなど、とてもよく勉強をされていて介護にも熱心で。そんな奥様の姿勢を、理解し、認め、気持ちに寄り添う時間を取ることで、互いに協力することができました。私たちチームだけでなく、医師やケアマネなど多職種全員を巻き込んで知恵を出し、その時々に焦点を合わせたケアができたことがよかったのだと思います」(岡西看護師)

ご利用者様・ご家族の声
看護師さんが来てくれたことが支えになりました。介護の仕方なども上手にやり方も教えてくれて、自然に看取ることができて、感謝、感謝です。病院だったら、こんな最期を迎えることができなかったでしょう。
介護は大変じゃなかった。皆から「大変でしょう?」と言われるけれど、介護ができて良かった。日に日に良くなる、そんな状況みたら次はもっと元気になるという期待ができて、楽しかったです。
お葬式も急にバタバタで終わりましたが、喪失感はなかった。やりきったからだと思います。後悔はありません。
認知症という病気だから本人に優しくできたと思います。
今は退院して4年になります。退院して在宅の先生から1カ月と言われた時はショックでしたが、家で3年いれたのも感謝。家に連れてこれてよかった。病院にいたらこんな長生きできなかったかもしれません。当初はこんなに頑張れると思わなかったです。
看護師さんは、どんなときでも安心して相談できる、身近な存在。おかげで安心できて、不安なく過ごせました。夜間も電話すれば対応していただけるのが心強かったですし、心配事は相談すれば答えてもらえました。明日看護師さんが来るから、今日はこんな状況だけど聞けばいいやと。
看護師さん1人ひとりの顔が今でも浮かびます。
奥様
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者が生きる希望について自ら伝えることができないときは、利用者を一番よく知る人から希望を聞くことで、本人にも家族にも寄り添った対応が可能になる。
- PICCでの栄養が絶たれた時、予後が1カ月単位であることが予想され、その短い期間、どうすれば本人と家族が濃厚に過ごすことができるかをチーム全体で考えて、即行動に移せた結果、集中したケアができた。それが思わぬ利用者の回復につながった。
- 利用者の妻も認知症についてよく勉強し、根気強く関わって熱心に介護していたため、チーム内や他職種とも連携し、妻に寄り添い、サポートを続けた。日に日に回復する利用者の姿や妻が喜ぶ笑顔を見ることが、訪問者としてのやりがいにもなった。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本症例は、余命1か月の診断を受けた利用者様が、ご本人の希望を叶えるためのケアをきっかけに、QOLと身体機能の劇的な改善へと至った貴重な事例です。医療者は、時に延命を目的としたキュアの限界に直面しますが、ケアの視点からアプローチすることで、予後を覆すほどの回復に繋がり得ることを本症例は示唆しています。
1. ゴール設定の転換:医療的介入から「意味のある経験」の実現へ
PICCカテーテルの自己抜去は、医療的には再挿入を検討する状況です。しかし本事例では、これを「利用者様の本当の願いを叶える機会」と捉え直しました。看護師は、何もしなければ栄養状態が悪化し動けなくなると予測し、残された時間で「行きつけの喫茶店でコーヒーが飲みたい」という本人の願いを最優先するゴールを設定しました。医療的介入(PICCの維持)からQOLの向上(意味のある経験)へと目標を転換したこの決断が、その後の目覚ましい回復への出発点となりました。
2.環境と心理的アプローチによる「食べる」機能のキュア
入院中から退院後にかけて、経口摂取を促す様々な試みは難航していました。しかし、慣れ親しんだ喫茶店の雰囲気やコーヒーの香り、店主との挨拶といった環境刺激が、ご本人の自発的な摂食行動を誘発しました。これは、認知機能の低下で食事が困難となった利用者様に対し、環境調整や心理的アプローチが有効なCureとなり得ることを示しています。実際にこの体験を機に経口摂取量は増え、半年後には体重が10kg近く増加するなど、低栄養という病態からの改善が達成されました。
3. 多職種連携による迅速な介入がもたらした治療効果
「喫茶店に行く」という目標達成には、身体状況が悪化する前の、限られた時間しかありませんでした。看護師、リハビリスタッフ、主治医、ケアマネージャーが即座に状況を共有し、それぞれの専門性を活かして役割分担(座位保持能力の評価、外出ルートの確認、各所への許可取りなど)を行い、わずか4日で外出を実現させました。この迅速で集中的な多職種の連携体制こそが、ケアを治療へと昇華させるための重要な鍵であったと言えます。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/清水真保



