概要
身寄りがなく独居の男性を多職種のチームが在宅で看取った事例。入院も積極的な治療も拒否し、唯一の生きる希望だった愛犬と家で最期を迎えたいと願った利用者様。キーパーソンとなりうる親族や友人もない利用者様が、意思疎通が困難になった時に、さまざまな決断を誰がどう下すかは医療従事者にとっても難しいケースです。本稿では、愛犬との暮らしを諦めることなく、尊厳を持って最期を迎えられるように、チームが一丸となり手を尽くした事例を紹介します。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- キーパーソン不在時のACP※の進め方
- ご本人の身体的ケアだけでなく、「生きる希望」である愛犬までケア対象を拡張する視点
- 「本人の意思を尊重する」という軸をぶらさずに支え抜いたチームの連携方法
※ACP:アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)の略称。将来の変化に備え、希望する医療及びケアについて、 本人を主体に、その家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援・共有する取り組みのこと。
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

60代男性。肺がん末期。身寄りがなく一人暮らしをしているが、いつもそばにいる愛犬ラブが心の支えになっている。病院から入院をすすめられるも、ラブが心配だからと拒否し、在宅療養となる。介入から2カ月後、自宅で愛犬に見守られながら逝去。

看護師歴10年、訪看歴6年。急性期の国立病院で3年、地域包括ケア病棟で1年の経験を経て、2019年に株式会社デザインケア入職。訪問看護師として大切にしていることは「すべての選択肢や主導権は利用者様にある」「誰もが人として自然な姿になれるように手助けする」。
背景:ペットと暮らすために治療を拒否して在宅療養を選択
母親を見送ってから団地で20年近くひとり暮らしを続けていた68歳の男性Oさん。身寄りも友人もなく、愛犬ラブが唯一の大切な家族だった。肺がん末期で予後数カ月と診断されたが、「ラブが家で待っている」と入院を拒否して帰宅。通院で放射線治療を続けたものの、外来治療が難しくなっても「俺は家で死ぬ、治療も必要ない」とそれ以上の治療を断ってしまう。そのため、病院の地域連携室から「在宅でフォローしてほしい」と、みんなのかかりつけ訪問看護ステーションに依頼があった。介入当初はADL※も自立しており、訪問しても「看護師さんは用が済んだらすぐ帰りな」と、渡邊看護師を頼ることもなく、自由気ままに過ごしていたOさんだった。しかし、「とはいえ最期どうするか?」という不安もあったはずだが、当初は心を開いてもらえず、関係性作りからのスタートとなった。
※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと
希望:「最期まで大切なペットと一緒にいたい」
母親を家で看取った時にも愛犬が見守ってくれた。代替わりしながらもいつも犬たちがOさん家族のそばにいた。一人で生きてきたOさんとこの数年、人生を共にしてきたラブは大切な存在で、生きる希望であり、喜びでもあった。なので、「最後までラブと一緒にいたい」がOさんの唯一の生きる希望だった。世話も人任せにしたくないと、移動に車椅子が必要になっても散歩の時はリードを自分で持ち、排泄物の始末もしていたほど。訪問スタッフが手を貸そうとしても「触るな」と頑なだった。ある日「病院に行かなければ」とOさんが言うので渡邊看護師が驚いて確認すると「ラブの定期検診がある」という答えが返ってきたことも。自分の身体よりも愛犬の健康を大切にしていたことがよくわかるエピソードだ。しかし一方で、Oさんは自分のことよりまずラブだったからこそ、「最期まで家でラブと一緒に過ごしたい」という願いと、「ラブに辛い思いや不自由な思いをさせたくない」という思いの間で気持ちが揺れ動いていた。
ケア計画:経過観察としての介入からの関係性構築へ
介入当初は、状態観察のため週1回の訪問看護を実施し、バイタル管理、保清ケア、清拭、リハビリ、マッサージ、苦痛の軽減のための医療用麻薬の調整などを行った。状態の悪化に伴い訪問回数を増やし、最終的には毎日2回のペースになる。
介入して1カ月経つ頃には食欲の低下やがん性疼痛が出現するものの、本人は依然として入院を拒否、点滴などの積極的な治療を望むことはなかった。とはいえ体の状態が悪化すれば、気持ちの変化もありうる。訪問のたびに、Oさんが何を望むか確認を重ね、主治医とも相談しながらケアの内容を決めていった。
経緯:信頼関係づくりからのスタート。生きる希望を全力で支えた在宅チーム
育まれた信頼関係
過去に母親を自宅で看取った経験があり、「家で一人で死ぬことは別にそんなに怖くない」と語っていたOさん。在宅酸素を使用している状態でもタバコはやめず、自分の好きなように生活していた。看護師にも頼らず、あまり干渉されたくないと思っているのが雰囲気から伝わってくる。そんなOさんだったが、渡邊看護師はそのまま受け入れた。介入当初から「俺は病院に行く気はさらさらないし、ラブのそばにいて、家で死ぬから」と言うのを聞いていたので、Oさんが自分の最期について覚悟ができているのもわかっていたし、口を出さずに見守ることで信頼が芽生えるのではないかと考えたのだ。なので訪問の際は、必要な措置を行うこと以外の会話も積極的には行わず、適度な距離を置いて接するようにしていた。しかし2〜3回目の訪問で、Oさんが「ふつう看護師は絶対タバコ吸うなとか酒飲むなって言うだろう。お前は言わないな」とポツリと呟いた。渡邊看護師が「ここは病院ではなくて、Oさんの家ですからね」と言うと、Oさんは頷いた。そうして、その頃からなんでも率直に話せる関係が少しずつ構築されていく。
信頼を得たことで最期についても話せるように
予後が短いことはOさんも理解はしていたが、最期をどうしたいかなど、関係性ができたとはいえいきなり聞いても答えてもらうのは難しい。散歩中など話しやすい雰囲気ができた時を逃さず、これまでの人生や、母親を家で看取った時の経験など、Oさんを理解するための会話を重ねることで、自然に踏み込んだ話もできるようになっていった。「会社勤めではなく自営で仕事をしていたから、これまでの人生、何もかも自分で決めてきた。誰かに頼ったりしたこともない」というOさんだから、最期のことも自分で思うようにしたかったのだろう。身寄りがなく親しい友人もいないOさんは、意思決定を全て自分でしなければならない。亡くなった後の家具や身の回りのものをどうするかも含め、さまざまなことを話したが、やはり一番気にかかるのはラブのことだった。
体調変化の中での葛藤
介入から1カ月後、だんだんと衰弱したOさんは、足に力が入らなくなり、自力でラブを散歩させることが難しくなる。食欲も低下し、がん性疼痛も出現するなど、衰弱していく自分の体を否応なしに自覚せざるを得ない。車椅子の介助をしながらラブの散歩に同行したとき、渡邊看護師は「これからどう過ごしていきたいのか」を尋ねた。すると「この体、あと1カ月ってとこかな」「痛くないように(したい)」「どうなっても絶対に入院はしない。ラブと家にいる」と答え、ラブとだけは離れたくないという強い気持ちが伝わってくる。それと同時に、弱っていく体を考えると「ラブの世話ももうちゃんとできない。死んだ後、残されたラブはどうなるのか。このままだとラブを不幸にしてしまうかもしれない」と葛藤する姿もあった。
何よりも大切な愛犬ラブのために家に居ることを選んだのに、「手放したほうがラブのためになるのでは」という諦めにも似た気持ちが生まれてしまう。だんだん弱音を吐くようになり、「もうラブは誰かに預けたほうがいいかもしれない」と一緒にいるのを諦めようとする言葉を聞いたとき、渡邊看護師は「それは違う」と強く感じた。ラブを手放すことが決してOさんのためにはならないと確信し、ラブと一緒に安心して最期を迎えるためのプランを考え始め、「このまま一緒にいられるようにラブの世話の手助けもしますし、Oさんが亡くなってもラブを安心して預けられるところを、ケアマネさんやみんなで協力して探します」とOさんに伝えた。
希望を失わずに穏やかな最期を迎えるために
最期までOさんがラブと共にいることができ、亡くなった後のラブの行く末についても安心できるよう、渡邊看護師はケアマネージャーやヘルパーも巻き込んで、ラブの里親探しを始めた。Oさんとラブの絆の強さはスタッフ全員がよく理解していたため、さまざまな人の協力のもと、ラブの引取り先を探した。その結果、ある動物愛護団体と連絡が取れ、もしものときのラブの引取り先を決めることができた。Oさんが動けなくなってもラブの世話が継続できるようにヘルパーとも連携し、これで最大の心配事がなくなった。
その後、徐々に衰弱が進み、ある日ベッドで横になる本人から「すまん、助けてくれ」と声がかかる。今まで誰の助けも借りずに生きてきたOさんが、体の苦痛もあり自力で生活していくことに困難を感じたタイミングで、初めて助けを求めたのだ。すぐにサービス調整をして訪問頻度を増回し、訪問のたびに「今の苦痛は何か」「どこまで治療を望むか」を何度も確認。その時その瞬間の意思を聞き、変わっていく体とともに揺らぐ思いに寄り添えるよう、会話が難しくなる最後の瞬間まで本人の意向を確認し続けた。
親戚も家族もおらず、利用者ただ一人というケースは渡邊看護師にとって初めての経験で、本人との意思疎通が難しくなってきた時に、何を基準に判断すればいいのか、悩まされた。それまで何度も「入院もできますよ」「今晩一人で寂しくはないですか」など本人に確認して、「今のままでいい」と言われていても、葛藤はあるはずだ。時には排泄物にまみれているOさんの姿を見て、本当に正しいことをしているのだろうかと苦慮することもあった。そのたびに、主治医やケアマネも含め、チームで情報共有し、相談し合いながら、「本人の意見を尊重する」「生きる希望を叶える」という軸はぶらさずにケアにあたった。
最後は寝たきりの状態だったOさんだが、今までの日常と変わらない空気の中、団地の一室でOさんとラブが暮らしている。本人は残る体力でタバコに火をつけながら「苦しくないよ。ラブをよろしく」と微笑んでいた。その日から4日後(介入からは2カ月経っていた)、自宅のベッドで亡くなる。表情は安らかで最期までラブがずっとそばにいた。
振り返り:「Oさんのためにできることはする」というスタンスだった
意識が遠のいていくなかでも、ベッドサイドで餌を食べるラブを見るOさんの表情は笑顔で、「愛犬の幸せを願いながら、最後まで一緒に過ごせた時間こそが、本人の生きる希望に繋がっていたと感じます」と渡邊看護師は振り返る。「里親探しなどは業務ではないといえばそうかもしれませんが、介入当初からOさんのために、ということだけを考えて動いていたので。Oさんが大切にする、生きる希望であるラブ。そのためならできることはしようというスタンスでした」。そのおかげでOさんは、死を目の前にしても、生きる希望をもって毎日を過ごすことができたのではないだろうか。Oさんが亡くなった後、ラブは里親に引き取られ、温かい家族と過ごしていると愛護団体から報告があった。自分がいなくなってもラブには幸せでいてほしいというOさんの願いも叶ったのである。
声:ご利用者様の声
「お前ら看護師はみんなタバコ吸うなとか酒飲むなって言うだろう。お前は言わないな」
「自営で仕事をやってきて、誰も頼らずに1人で金稼ぎまくって。タバコ吸いまくって今まで自由に過ごしてきたんだ。母親も自宅で看取ったし、家で俺が1人で死ぬことは別にそんな怖くない。何よりも大事なのは、この愛犬のラブだ。自分が死んだ後、ラブが1人になって幸せでいられるのかがすごい不安なんだ」
「ラブの里親が決まって安心したよ。ありがとう。これで死ねるな」
(Oさんへの「聞き書き」※より)
※聞き書き:語り手の話した言葉をそのまま書き止め、語り手が目の前で話しているかのような文章としてまとめる手法。みんなのかかりつけ訪問看護ステーションでは、ケアの一環としてご利用者さまやご家族といった「語り手」の気持ちを聞き、言葉という文章に代えて手紙に綴る取り組みを行っている。ときには語り手が胸の内に秘めた想いをすくい取ることで、意思決定支援の場面や、グリーフケアで活躍することがある。
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者に変化があったタイミングを見極めてそっと手を差し伸べながらACPを始め、意思は変更できることを伝え続けながら、何度も確認を行う。
- 死を目前にしても生きる希望を諦めない。利用者の大切な存在を共に大切にすることで、最期まで利用者の尊厳を守る。
- 家族や親族など、利用者以外に意思確認ができる人も看取りをする人もいない場合は特に、一人ではなく、必ず多職種を巻き込んでチームで看取りをする。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
身寄りがなく独居のがん末期患者を在宅で看取った本症例は、我々専門職に、ケアの対象、ACPのタイミング、そしてチームの在り方について根源的な問いを投げかける、極めて示唆に富んだ実践です。
1.ケア対象の拡張:「患者本人」から「患者と、その人が愛する存在」へ
本症例における患者の苦悩の中心は、自身の身体的苦痛以上に、「唯一の家族である愛犬の未来」に対するスピリチュアルペインでした。これに対し、チームが提供した最も効果的な介入は、医療行為ではなく、愛犬の里親を探し、その未来を保証するという社会的・倫理的支援でした。この事実は、我々のケア対象が、患者本人という個体だけに留まらないことを示唆しています。患者の「生きる希望」が他者(本件ではペット)の幸福と不可分に結びついている場合、その大切な存在の安寧をもケアの対象として捉え、介入を計画する視点が不可欠です。
2.「待つ姿勢」を基盤としたACP(アドバンス・ケア・プランニング)の実践
当初、他者を頼らなかった患者に対し、性急な意思決定支援は関係を損なう危険性がありました。本症例の看護師は、まず患者の価値観(「タバコを吸うなと言わない」)を尊重し、信頼関係の構築に専念しました。そして、患者の身体状況が悪化し、自ら助けを求める言葉を発した「変化のタイミング」を逃さず、初めてACPを深めていきました。ACPとは一度で完結するものではなく、継続的な関わりの中で、患者が心を開くのに適したタイミングを「待つ」という姿勢が、本人の真の願いを引き出す上で極めて重要となります。
3.家族不在のケースにおける「チーム」の役割:意思の尊重と倫理的葛藤
本症例のように意思決定を代理する家族が不在の場合、ケアチームはサービス提供者ではなく、患者の意思を社会的に支える代理システムとしての役割を担うことになります。それは、「本当にこれで良いのか」という深刻な倫理的葛藤をチームにもたらします。この困難を乗り越える鍵は、多職種間で葛藤や悩みを密に共有し、「本人の生きる希望を最優先する」という倫理的原則を常に再確認し続けるプロセスにあります。チーム全体で覚悟を決め、一貫した方針で関わることが、患者の尊厳を守り抜くと同時に、看取る側が抱える道徳的苦悩を軽減することにも繋がるのです。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/清水真保



