概要
在宅看取りにおける「意欲低下」患者へのアプローチについての事例。ADL※の低下から食欲不振、寝たきり状態、さらには「死にたい」という言葉まで出るようになってしまった患者様。在宅で終末期を過ごされる患者様のADL低下は、医療従事者が日常的に直面する深刻な問題です。本稿では、重度の右半身麻痺と末期肺がんに苦しみ、心を閉ざしかけていた70代女性Sさんが、いかにして「残りの人生を楽しむ希望」を取り戻したか、その具体的な介入事例を紹介します。
※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 「できない」ではなく「できる」に目を向けたケアで、本人の笑顔と自信を取り戻す方法
- 身体的な問題に見える症状でも、実は心理的な要因が関わっているという気づき
- チーム全員で本人の人生背景を共有し、想いに寄り添う介入方法
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

77歳女性。長年住み慣れた一軒家で一人暮らし。肺がん末期、脳転移あり。同じ市内に娘が住んでいる。症状の進行により2020年に自宅にて逝去。

回復期5年、訪問看護2年の経験を経て、2018年より株式会社デザインケア入職。作業療法士(OT)歴15年、訪問歴9年。セラピストとして大切にしていることは、その方の人生観や思いにとことん寄り添うこと。
※OT:作業療法士(Occupational Therapist) の略
背景:ADL低下に伴って進行する意欲の低下と生きる希望の低下
Sさんは肺がん末期で脳転移による右半身麻痺も進行しつつあるなか、一人暮らしをしていた。麻痺の進行とともにADLが低下してきたことから、みんなのかかりつけ訪問看護ステーションが介入し、同じ市内に居住する娘さんとコミュニケーションを図りながら、Sさんをサポートする日々がスタートする。作業療法士・藤原加奈(藤原OT)は週1回くらいの頻度で訪問するようになった。介入当初のSさんは、歩行器を使って自宅内を移動することはでき、ヘルパーの助けを借りながらも日常の家事は何とかこなせるという状態だった。訪問時はスタッフと昔話などさまざまな会話を交わし、笑顔も見られた。
しかし、病状の進行によって、さらなるADLの低下は避けられず、以前は当たり前にできていた身の回りのことが、少しずつできなくなっていく。それとともに、Sさんの表情は曇りがちになり、藤原OTが訪問した際に、灯りを消した暗い部屋で布団にくるまっていることが増えてきた。介入当初の様子とは異なり、口を開くと「しんどい、しんどい」「生きていても仕方がない」「死にたい」といった言葉を発するようになり、不安やイライラが募ると、時折、強い口調で周囲に接することも。感情の揺れが激しく、関わり方に迷う場面が増えていった。
希望:夫と暮らした自宅で最期を迎えたい
もともとは家事をバリバリこなす主婦だったSさんは、人に尽くすことが好きで、夫の職場仲間や友人が自宅を訪れると、手料理をふるまうことを楽しんでいたという。また、ボランティア活動にも積極的で、人の役に立つことに生きがいを感じていた。現在、暮らしている自宅は、夫の生前、屋根を修理した際に「ここで一生を過ごそうね」という約束を交わしたという愛着のある家で、10年ほど前にはここで夫を看取っている。Sさん自身も、40年以上夫と共に暮らしてきた自宅で最期を迎えたいと望んでいた。キーパーソンである娘さんも、「あくまでも母の意思を尊重する」ということで、やはり在宅での看取りを希望していた。
ケア計画:まずは理想と現実のギャップに苦しむ気持ちを受け止めること
介入当初のSさんは要介護2。バイタル管理、浮腫に対するリンパドレナージ※や疼痛コントロール、ADL維持と体のコンディショニングなどのため、訪問看護週2回、訪問リハ週2回のペースで関わっていた。長く主婦としての誇りを持って生きてきたSさんは、「できる」ことよりも「できない」ことにばかり目を向けてしまう傾向があり、完璧にできない自分を常に過小評価してしまっていた。「死にたい」などのネガティブな言葉が出てしまうのも、かつて元気だった頃の“誰かのために役立っていた自分”と、“身の回りのことができなくなり、人に頼るしかない自分”とのギャップに苦しんでいるからではないかと考えられた。まずは、そういう気持ちをできるだけ理解し、受け止めることを念頭にケアに当たった。
※リンパドレナージ:リンパ浮腫などのむくみを軽減するために、手でリンパ液の流れを促す医療的な手技のこと。
経緯:「死にたい」が「残りの人生を楽しく過ごしたい」に変わるまで
気持ちに寄り添いながら笑顔のきっかけを模索する日々
相変わらず「もう死にたい」「惨めだ」などと口にするSさんの姿に藤原OTは心を痛めたが、まずは気持ちをそのまま受け止めることが大事であると考えて共感を示し、次の言葉を根気よく待ち、それでも何も言わなければ話題を変えるなどして寄り添い続けた。元気だった頃の自分と比べて「何もできなくなってしまった」とは話すものの、まだまだSさんにはできることがたくさんあるはず。そのことに気づいて、少しでも「やってみたい」という気持ちが芽生えてくれないものか、と訪問のたびに思うのだった。どうにかしてSさんの笑顔を取り戻せるきっかけを作れないかと模索するうち、藤原OTは料理を軸に何かできるのではないかと思い当たる。介入当初はSさんがよく料理のレシピを教えてくれたり、家事の手順を細々とヘルパーに指示したりしていたからだ。
肉じゃがパーティーの提案と始まった準備
介入からおよそ半年後、ネガティブな発言が顕著になるなどSさんの状態が悪くなってから1カ月ほど経った頃に、サービス調整のための担当者会議が開かれる。この日の会議にはSさん自身も参加し、ケアマネージャー、N看護師、I看護師、そして娘さんも顔を揃えていた。その席で娘さんは、「お母さんは料理や裁縫が大好きだった。よく人を招いてふるまっていた」など、元々のSさんの人となりについて話した。話をするうちに、Sさんも娘さんも以前の様子を思い出したのか、笑顔が見られる場面もあり、その場にいたケアスタッフたちが「それなら、何かやりましょうよ!」と声を上げ、会議はとても楽しい雰囲気に包まれた。
会議の翌日、藤原OTが訪問した際にその様子を聞き、「提案するなら今だ!」と確信。少し前から自身の中で“構想”を練っていた料理パーティーの開催を提案してみる。「一緒にやりましょうよ!」と誘うと、Sさんは思いのほかすんなりと応じてくれた。
メインメニューはSさんと話し合って肉じゃがに決定。藤原OTは事前に食材をすべて準備して、Sさんの身体に無理がかからないように動線や調理工程を確認、長時間立っているのは厳しいため調理台のところに椅子も用意した。右手(利き手)は全く動かないわけではなかったが、握力はかなり低下していたため、包丁が握れなければピーラーで代用することを想定し、握る際の滑り止めになる補助具も持参した。最も避けたいのは“失敗”を味わわせてしまうこと。完璧にできなかったことで、Sさん自身が「できなかった」と思ってしまわないよう、今のSさんに「できること」を考えながら綿密にプランを立てた。調理そのものよりも、笑顔の時間を作ることがパーティーの目的だった。パーティーが前向きな気持ちになれるきっかけになればと思った。
独りで買い出しも!笑顔に満ちたパーティー当日
そして迎えたパーティー当日、藤原OTの心配は良い意味で裏切られた。彼女が訪問すると、Sさんはなんと前日から餅米を仕込んで赤飯を炊き、さらに朝から一人でレタスを買いに出かけていたという。屋外への単独歩行は避けていたはずのSさんが、自らの足で外に出たというのだ。また、座位で調理する想定をしていたのだが、いざ始まるとSさんは調理中ずっと立っているどころか、キッチン内をあちこち行き来していたという。麻痺のある右手でピーラーを握り、包丁を使い、「そこじゃない、こっちに持ってきて」など、“助手”の藤原OTに指示を出しながら、笑顔でチャキチャキと調理をこなしていく。そこには本来の“しっかり者の主婦・Sさん”がいた。動けないからふさぎ込んでいたわけではなかった。藤原OTはそう感じた。
肉じゃがが完成するタイミングを見計らって、看護師やかつての担当セラピストたちがそれぞれ惣菜の皿を持ち寄り集まってきた。せっかくのパーティーを少しでもたくさんの笑顔で満たしたいと、藤原OTが声をかけておいたのだ。残念ながら娘さんは参加できなかったが、食卓には笑い声が飛び交い、穏やかな空気に包まれていた。その時に撮影した写真はまるで友人同士の食事会のようで、その中心にいるのは笑顔でピースサインをするSさんだ。
増えた外出機会と気持ちの変化。「残りの人生を楽しく過ごしたい」
肉じゃがパーティーの日を境に、Sさんの生活は少しずつ変わり始めた。藤原OTが訪問すると「あの時は本当に楽しかったね」と、パーティーを思い出して話をすることが何度かあった。すっかり明るくなったわけではなく、もちろん心の状態には浮き沈みがあったものの、以前に比べると明らかに塞ぎ込むことが少なくなったという。最も大きな変化は、これまで「会いたくない」と拒んでいた友人たちと再び会うようになったことだ。日帰り旅行に出かけたり、外食を楽しんだりと、外出機会が増え、「残りの人生を楽しく過ごそうと思えるようになった」という前向きな発言も聞かれるようになった。Sさんがほとんど動けなくなったのは亡くなる数週間前のこと。それまでは“生活する人”として自分の日常を生き切り、望み通り自宅で穏やかに息を引き取った。
振り返り:「寄り添うこと」が気持ちと身体を動かし、希望が叶った
あの日、肉じゃがパーティーで見せた動きや表情は、まぎれもなくSさん本来の姿だったと藤原OTは振り返る。「ご本人の気持ちと支援者の意欲にズレがあると、何も進まない。だけど、相手の価値観や人生をしっかり知って、信じて待てば、きっと何かが動き出すのではないでしょうか」。焦らず、急かさず、“そばにいる”こと。その姿勢が、Sさんの気持ちを少しずつほぐしていったのかもしれない。また、結果的にではあるが、動けなかったからふさぎ込んでいると見えていたことが、前向きになれないから動けなかったという心理的側面にも原因があったことが在宅チームの関わりで分かったケースだった。そのきっかけを作った「ただ、笑顔が見たかったんです」という藤原OTの言葉に、終末期在宅ケアの一つのあり方が集約されている。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
まとめ
(この症例のポイント)
- 気分の落ち込みやムラがあり、何事にもやる気や希望を見出せなくなっていた利用者に対して、多職種で共通の話題を作って気持ちを盛り上げ、一緒に取り組める課題を設定することで、多職種、本人共に一歩前に進むことができる。
- ADLが低下して思うように動くことができなくなった時、利用者本人は「できないこと」に目を向けがちだが、多職種が「完璧でなくてもできること」に注力したケアをすることが、本人の自信や誇りの回復につながる。実は心理的に動けなくなっている可能性がある。
- 利用者がふさぎ込んでネガティブな言葉を発してしまう場合、その言葉や気持ちを否定したり、無理に答えを求めたりせず、まず共感する姿勢を示すことで、信頼と安心の土台を築くことができる。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本事例は、終末期にある利用者様のケアにおいて、医療者が持つとよい視点と具体的なアプローチについて、以下の重要な示唆を与えてくれます。
1. 診断・アセスメントの深化 ― 苦しみの本質を見抜く
まず、利用者様の苦しみを身体的症状や、精神的症状である抑うつとして捉えるのではなく、その根源にある物語を理解することが不可欠です。
症状の背後にある物語の理解: 利用者様の「死にたい」「惨めだ」といった言葉の背景には、かつて「人の役に立っていた自分」と「人に頼るしかない自分」とのギャップへの苦しみがありました。この苦痛を、役割喪失に起因する「アイデンティティの危機」や「実存的苦痛」としてアセスメントする視点が、的確な介入の第一歩となります。
心理的特性の深い洞察: 「完璧に出来ないとやる気にならない」という態度は、失敗によって自らの能力低下を再確認することを避けるための「防衛機制」と解釈できます。問題の本質は意欲の欠如ではなく、安心して挑戦できる「心理的安全性の欠如」にあると捉えることが重要です。
2. 介入デザインの戦略性 ― 「できる」を再構築する
苦しみの本質を理解した上で、介入は戦略的にデザインされています。具体的には以下のポイントがあります。
「意味のある作業」を治療の核に据える: 介入を計画する際、利用者様が病気になる前に何を大切にしてきたか、その人にとっての「意味のある作業」を探求します。本事例では、それが「料理」と「もてなし」でした。
成功体験(遂行行動の達成)を意図的に設計する: 介入の主目的は、安全で達成可能な成功体験を創出し、失われた自己効力感を再建することにおいています。そのためには、利用者様の能力に合わせ、失敗の不安を軽減する「活動の段階付け」(例:持ち寄り形式の提案)といった、綿密な「足場作り」が求められます。
「できないこと」から「できること」への焦点転換: 利用者様本人は「できないこと」に目を向けがちですが、ケアチームは「完璧でなくてもできること」に注力し、それを具体的に体験してもらうことで、自信や誇りの回復を支援することが重要です。
3. ケアの姿勢とチームアプローチ
戦略的な介入を成功させるには、適切なケアの姿勢とチームの力が必要でした。
共感と傾聴による信頼関係の構築: 利用者様がネガティブな感情を吐露した際、それを否定せず、共感的に寄り添う姿勢が、信頼と安心の土台を築きます。
多職種による創造性と機運の醸成: 多職種チームが利用者様の物語を共有し、共通の話題で一体となって気持ちを盛り上げることが、本人の意欲を引き出す大きな力となります。既存のプロトコルに捉われず、個々の利用者様に合わせた創造的な介入を共同でデザインできる組織文化が求められます。
信じて待ち、機会を捉えるタイミング: 利用者様の気持ちと支援者の意欲にズレがある時は焦らず、急かさず、“そばにいる”ことが大切です。そして、担当者会議での盛り上がりのように、本人の気持ちが前向きに動いた「機会」を逃さず、具体的な行動を提案することが、介入の成功に繋がります。
取材・文/金田亜喜子



