概要
圧迫骨折により一時的に寝たきり状態となった80歳男性が、社会的役割の再獲得を目指してリハビリに取り組んだケースです。車の運転を希望する本人と反対する家族との間で生じた軋轢に対し、訪問スタッフ(セラピスト)が介在して問題を解決し、本人らしい生活を取り戻すに至った経緯を紹介します。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 「運転したい本人」と「反対する家族」の橋渡しを行った合意形成プロセス
- 「したいこと」の裏にある「ありたい姿」を捉えることの重要性
- 代替手段の導入を拒否された際の多職種連携による役割分担
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

80歳男性。第3腰椎圧迫骨折、軽度認知障害。妻と二人暮らし、同敷地内に娘家族が居住。トラック運転手の仕事を引退後も自宅近くのお堂の管理を務め、充実した生活を送っていた。2022年3月に圧迫骨折を受傷し、同年7月までの約4カ月間、訪問看護と訪問リハビリが介入。

病院のリハビリテーション科で7年、同老人保健施設で6年、訪問看護リハビリステーションで3年の勤務を経て、2021年に株式会社デザインケア入職。セラピストとしてのポリシーは「親しみのある礼儀正しさで接し、常に最良のリハビリテーションを届けること」。
※PT:理学療法士(Physical Therapist)の略
背景:骨折によって引退後の生き甲斐だったお堂の管理が不可能に
奥山巌さんは、トラック運転手としての自営業を長年営んできた。10年ほど前に友人からの依頼を受け、自宅から徒歩30分ほどの場所にある八大龍王神を祀るお堂の管理を引き受けるようになった。もともと人付き合いを好まず寡黙な性格であったが、お堂で参拝者と会話を交わすうちに笑顔が増え、性格も穏やかになったと家族は当時を振り返る。参拝者の相談を受けることもしばしばあり、地域でこのような役割を担うことが生き甲斐となって、奥山さんは仕事を引退してからも充実した毎日を送っていた。
ところが2022年3月、奥山さんは自宅内で転倒し、第3腰椎圧迫骨折を受傷。以後しばらくはベッド上での生活を余儀なくされ、寝たきりに近い状態となってしまう。しかし入院適応とはならなかったため在宅での療養となり、主治医の指示で訪問看護と訪問リハビリの介入がスタートした。介入当初はかなり強い痛みがあり、トイレ動作にも介助を要するほどの状態で、生き甲斐だったお堂への訪問ができなくなってしまい、管理業務は一時的に友人に託すこととなった。
希望:お堂の管理をするために運転したい奥山さんと「反対」の家族
腰椎圧迫骨折を受傷して間もない頃より、奥山さんは一貫して「またお堂の管理に戻りたい」と話していた。渡邊PTはリハビリしながら奥山さんと会話を交わす中で、本人にとってお堂は地域の人々との接点であり、社会の中での自らの役割を実感できる大切な場であったと認識。一時的に人任せにしていたとはいえ、お堂の管理のやり方にこだわりがあり、責任感とともに地域における自身の存在意義への強い意識がうかがえた。
お堂への道のりは徒歩だと自宅から30分ほどかかるため、いつも奥山さん自身が車を運転して通っていた。長くトラック運転手を務めてきた奥山さんは車の運転には自信があり、家族を支えてきたという自負もあった。そんな奥山さんにとって、車の運転は単なる移動手段ではなく、自らの尊厳そのものだったといえる。しかし、1年ほど前から軽度認知障害と診断されていたことに加え、今回の圧迫骨折によって身体機能も低下してしまったため、家族としては奥山さんを思う気持ちから、これを機に車の運転をやめてほしいと考えていた。
ケア計画:身体機能の回復のほか、お堂へ行ける状態になることを目標に設定
介入当初、全身状態の観察と保清支援のため訪問看護が週5日60分、疼痛軽減、身体機能・ADL※改善を目的とした訪問リハビリが週5日40分介入。当時の奥山さんにとって「お堂に行けないこと」が心理的ストレスとなっており、身体機能の問題以上に、「役割を奪われた」と感じてしまうことで、自身の尊厳や自立性が脅かされていた。そのためリハビリによる身体機能の回復とともに、以前のようにお堂へ行くことができる状態になることを目標としてケアにあたった。
一方で、家族の思いは複雑だった。奥山さんが元気になってお堂の管理に復帰してほしい思いはあれど、「万が一、事故で他人を巻き込んでしまったら取り返しがつかない」との不安から、車の運転はやめてほしいと考えていたのだ。そこで渡邊PTはシニアカーの利用を提案することに決める。ただし、本人にとって「シニアカー=高齢者の乗り物」というイメージが強く、拒否反応があったので、無理な説得は避け、少しずつ選択肢として認識してもらえるよう、在宅医やケアマネージャーにも相談しつつ準備を進めていった。
※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと

経緯:シニアカー拒否から、受容し、笑顔が増えるまで
奥様の運転でお堂通いを再開!が、“騒動”発生
疼痛コントロールと積極的なリハビリが功を奏し、奥山さんの体調は徐々に回復。介入から1カ月ほど経つ頃には近隣を散歩できるまでに ADLが上がってきた。「やっとここまできた(回復した)よ。もうちょっと頑張れば、お堂に行けるかな」と嬉しそうに話していた奥山さんは、ある日、奥様が運転する車でお堂へ行くことができた。こうしてお堂の管理を再開すると、奥山さんは訪問スタッフにも笑顔でお堂の様子を話し、「やっぱり俺がやらなきゃな」と発言するなど、自身の役割を再認識したようだった。しかし、お堂へ行くときには車移動となるため、どうしても家族の協力が欠かせない。当初は行けるだけでそれなりに満足していたが、自分のタイミングで行けないことに対して次第に苛立ちを見せるようになる。
ちょっとした騒動が起きたのはお堂通いを再開して約10日後のこと。ある日、渡邊PTがいつものように訪問すると、奥山さんと奥様の間に何やら険悪な空気が流れている。聞けば、奥山さんが一人で軽自動車を運転してお堂に出かけてしまったとのことで、奥様は「まったく、もう!」と怒っている様子。渡邊PTとしても、一人で行けるほど心身ともに元気になったのはいいが、車の運転には賛成できない。結局それ以来、自動車の鍵は家族が管理するようになった。不満を募らせた奥山さんと奥様との口論が頻発するようになり、その頃はスタッフが訪問するたびに、ピリピリした雰囲気を感じ取っていた。
シニアカーを提案するも「年寄りが乗るもんだ」と拒否
50年近くもトラック運転手として働いていた奥山さんが、運転に自信を持っていたのは当然のことだろう。本人はそのときの体調なら十分にお堂まで一人で運転して行けると思っていた。しかし、家族から見れば以前に比べて動きがぎこちなくなり、物忘れが増えるなど認知機能も衰えていた。再びお堂に通うことで奥山さんに生き甲斐を取り戻してほしいと願いながら、「万が一、他者を巻き込む交通事故でも起こしてしまったら・・・」という不安もあり、家族もまた思い悩んでいたのだった。その姿を間近で見ていた渡邊PTは、家族が納得できるかたちで、奥山さんが自尊心を傷つけられることなくお堂の管理に復帰するためにはどうしたらいいかを考えた。車の運転はあくまで手段であり、今の奥山さんに必要なのは「地域での役割の再獲得」なのだから、車の代わりにシニアカーで移動してはどうだろう。すぐにケアマネージャーと主治医に状況を報告して相談し、シニアカーの提案を進めることになった。 “騒動”から4日後、主治医から奥山さんに直接電話で「運転はダメだよ」と伝えてもらう。そして本人と家族にシニアカーの利用を提案すると、家族は二つ返事で承諾、善は急げとばかりに娘さんがすぐにレンタルの手配をした。約1週間後にシニアカーが自宅に届いたのだが、本人は「シニアカーは年寄りが乗るもんだ」といって乗ろうとしない。口下手な奥山さんは普段から気持ちを言葉にするのが苦手なため、シニアカーをレンタルするときも、本人の意見をあまり聞かないまま、ことが進んでしまったようだった。
多職種連携による説得でシニアカーを自然に受容
ここで無理強いすると逆に頑なになってしまうと考え、渡邊PTは奥山さんのシニアカーへのマイナスイメージを否定することなく、やんわりと説得を続けた。シニアカーが届いてから約1週間後、主治医も同席する共同訪問診療が行われ、直近に実施した認知症テストの成績が以前より下がっていたことから、主治医が「この状態では、運転して事故を起こしてしまっても保険金が下りない」と告げ、奥山さんに免許証の返納を促した。
この時、ケアマネージャーと渡邊PTが、シニアカーを使えば以前のようにお堂に通うことができると丁寧に説明した。そしてもう一つ、この頃、訪問スタッフは家族について「奥山さんの運転や事故を心配するばかりで、本人の体調を気遣う言葉かけが少ない」と感じていたため、このタイミングで奥様と娘さんに「奥山さんの体調も気にかけていることを言葉で伝えてほしい」と話した。
前述した医師の「保険金が下りない」という言葉が決め手になったこともあるが、多職種や家族ができるだけ本人の意思を慮りつつ働きかけたことにより、その後、奥山さんの気持ちは受け入れる方向に動いたようだ。ある時、ふと「あのクルマ(シニアカー)は、どれくらいスピード出るんだ?」と奥山さんが口にしたので、この機を逃さずに渡邊PTが試乗を提案。本人の気持ちに配慮し、近隣の人たちの目に触れない敷地内でシニアカーに試乗することになった。事前にリサーチしておいた、自宅からお堂までの安全な経路や所要時間についても本人に伝えた。初めての試乗後、「思ったより速いな」と奥山さん。その様子を動画で撮影して多職種で共有、以降スタッフが連携して奥山さんのシニアカー利用を後押しした。
お堂までシニアカーで往復できるようになり笑顔も増加
一度試乗を体験すると奥山さんのシニアカーへのイメージは一転。練習がてら、渡邊PTも同行して近所のコンビニまでシニアカーで出かけたりした。それからは本人もすっかり乗り気になり、数回ほど奥山さん単独でのコンビニ往復練習を経て、数日のうちに一人でお堂までの道をシニアカーで往復できるようになった。
シニアカーへの抵抗が払拭されると行動範囲が広がった。自由に外出できるようになった奥山さんは、ほどなくしてお堂の管理業務を再開。お堂では以前のように参拝者との交流を楽しみ、帰宅すると笑顔で家族と会話を交わすようになった。かつての生き甲斐を感じて日々を過ごす奥山さんの姿が戻ってきたのだ。現在では、将来的な継承を考慮して、奥様の弟さんと共同でお堂の管理を担っているという。

振り返り:誰かの役に立ちながら生きる人生を取り戻せた事例
転倒がきっかけで、一度は自尊心を傷つけられる思いを味わった奥山さんだが、再び誰かの役に立ちながら生きる人生を取り戻した。あれから自宅で炊飯を担当するなど、家庭内での役割も新たに担うようになり、家族との関係にも落ち着きが戻っていったという。「奥山さんが奥山さんらしくあるというのは何なのだろうと、ずっと考えていました。今までずっと家族だけの少し狭い世界でやってきた奥山さんが、お堂があることで知らない人の役にも立つことができ、世界が広がったと思うんです。奥山さんが再びその場に戻るために支援させてもらったことに、今も感謝しています」と振り返る渡邊PT。そこには、一人の利用者の人生を見つめ、心からその人を尊重してサポートする姿があった。
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者が再び地域の役割を担いたいという希望を実現するために、認知能力、移動負荷、交通状況などを含めて総合的に評価し、リスクを最小限にした上で移動手段の変更を導き出した。さらに「シニアカー=年寄り」という本人が抱くイメージを正面から否定せず、本人が納得しやすい場面と方法で提案することで、自然な自己受容につながった。 ・利用者が認識している自身の状況と家族や多職種の評価にズレがあったときに、家族を巻き込み本人のアイデンティティを理解して支援することで、本人が現状と折り合いをつけることができた。
- 利用者が生き甲斐としていたお堂の管理への復帰を主眼に置いたことで、地域での役割を再獲得し、自尊心を回復することができた。その過程で、「安全を守りたいという家族の愛情」と、「役割を果たしたいという本人の尊厳」という、双方にとって譲れない思いが衝突している状況を深く理解した。その上で、セラピストが両者の思いを両立させるための「橋渡し役」に徹したことで、信頼関係の再構築へと繋がった。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
1.本質的な欲求の洞察:「したいこと」の裏にある「ありたい姿」を捉える
利用者の「車を運転したい」という希望は、真の目的である「お堂の管理を通じて、誰かの役に立つ役割を担い続けたい」を達成するための手段でした。利用者が特定の行動に固執する際、その背景には、現役時代から続くプライドや、社会との繋がり、自己の尊厳といった、その人にとっての「ありたい姿」が隠されています。表面的な希望だけでなく、その方の人生史を踏まえた本質的な欲求は何かを洞察し、それを支援の主眼に置くことが極めて重要です。
2.キュア(治療)とケア(生活支援)のシームレスな統合
本症例のポイントは、キュアとケアが分断されず、見事に連携した点にあります。
・キュアがケアの土台を築く:圧迫骨折に対する疼痛コントロールと、ADL向上を目指したリハビリテーションという効果的な介入からこそ、利用者は「お堂に行きたい」という希望(ケア)に向き合う意欲と身体機能を取り戻すことができました。
・ケアがキュアの目的となる:「お堂の管理に戻りたい」という明確な「ケア」の目標が、本人のリハビリへのモチベーションを最大限に引き出しました。
・治療の評価がケアの方針を導く:認知症テストという客観的な医学的評価が、「この状態では運転は危険」という本人・家族双方の合意形成を促し、シニアカーという最善の代替案へ繋げるための強力な根拠となりました。専門職は、キュアとケアを常に連携させ、一方の成果をもう一方の推進力として活用する視点が不可欠です。
3.多職種連携による役割分担と効果的なアプローチ
本人の受容プロセスにおいて、多職種がそれぞれの専門性を活かした「合わせ技」が成功の鍵となりました。
・セラピスト:日々の関わりで本人の価値観やプライドを深く理解し、信頼関係を基に代替案を提示。試乗など具体的な行動変容を後押ししました。
・医師:医学的・社会的な事実(認知機能、保険の問題)を伝えることで、本人が現実を受け入れる客観的で強力な動機付けを行いました。
・ケアマネージャー:チーム内の情報を集約し、レンタル手配など制度的サポートを迅速に行いました。
4.対立構造の融解:「橋渡し役」としての役割
この症例は「役割を果たしたい本人の尊厳」と「安全を守りたい家族の愛情」という、双方にとって譲れない思いの衝突でした。セラピストは、家族が抱く「万が一」への不安に共感しつつ、本人を気遣う言葉かけを促すなど、硬直した関係性の調整役を担いました 。どちらかの味方をするのではなく、双方の思いを尊重し、両立できる着地点を探る「橋渡し役」に徹することが、在宅支援における信頼関係の再構築に繋がります。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/金田亜喜子



