概要
妻の死を受け入れられず苦しんでいた利用者様が、訪問看護師の寄り添うケアによって落ち着きを取り戻し、穏やかに自宅で最期を迎えることができた事例。介護してきた奥様を亡くし、自身の役割も失うという二重の喪失感に苦しんでいた利用者様に対し、看護師は焦らずじっくり耳を傾け、本心を読み取りながら、現状を受け入れることができるようサポート。同時に行き違いのあった家族との橋渡し役も務めたプロセスを紹介します。
この記事で学べること・
本事例のポイント
- 利用者がこれまで大切にしてきた役割や、拠り所としていたものを知ったうえで支援するという視点
- 個の看護を行いながら、常に家庭内の関係性を意識して関わる方法
- 悲しみを解決するのではなく「悲しみと共に今を生きること」に寄り添うスタンス
目次
介入事例
登場人物:ご利用者様・担当者

76歳男性。長年、病弱な妻を支え家事や育児を担ってきたが、自身も糖尿病や肝硬変などの持病を抱え、手術や長期入院を経験。妻の死後、身体機能の低下や役割喪失に直面し、同居する長女との関係もうまく築けず孤独感を深めていた。

総合病院代謝内分泌科・小児科5年、訪問入浴派遣3年、内科クリニック7年の経験を経て、2023年より株式会社デザインケアに入職。訪問看護師歴は2年半。利用者様・ご家族に寄り添い「優しく温かく安心できる存在」になりたいという思いで日々ケアにあたる。
背景:突然の妻の死を受け入れられず、孤独感に苛まれるKさん
Kさんの妻は40歳代の頃から腎臓を患っており、もともとは彼女の透析のために2020年からみんなのかかりつけ訪問看護ステーションが介入していた。長年の間、妻の介護と家事を一人で担ってきたKさん。几帳面な性格で、二人の娘たちの子育てにも積極的に関わってきた自負があり、一家の大黒柱としての誇りを持っていた。しかし2023年7月、Kさん自身が肝膿瘍と腰椎の手術のため5カ月入院。退院後は車椅子中心の生活となり、Kさんにも訪問看護が介入することになる。とはいえ、自立心の強いKさんは自身のケアをあまり必要とせず、簡単な料理や身の回りのことは自分で行い、妻が楽に過ごすための工夫を常に考えていた。しばしば口喧嘩をしながらも、二人ともお互いを必要としている—そんな夫婦だった。
ところが、Kさんの退院から約3カ月後、妻の病状が急変して入院し、わずか2週間後に亡くなってしまった。突然の妻の死に動揺したKさんは現実を受け止められず、医療者を責めるような言葉を繰り返したり、娘への不満を口にしたりするようになる。看護師が訪問すると、Kさんの部屋は薄暗く重たい空気が漂い、深い孤独感と喪失感に苛まれている様子だった。
希望:隠されていた、「もう一度、一家の大黒柱の役割を果たしたい」という想い
心を閉ざしている状態であったため、本心を引き出すことは容易ではなかったが、山口看護師は、Kさんの根底に「夫として、もっと妻を支えてやりたかった」という悔恨と、「父として娘を支えたいのにできない」という無力感があるのではないかと考えた。また、「やりたいことが全部できん」「つまらん、つまらん」といった発言があり、その背景には、外食や買い物、車の運転、家の片付けなど、日々の生活の中でも体が許すならやりたいことがたくさんあるのだろうと推察した。長年、病気の妻を抱えながら、一家の大黒柱として家族を支えてきたのに、今となっては妻を失い、自身の体も思うように動かなくなってしまった。そんなKさんが表出する怒りや不満の感情の裏には、「もう一度、家族に対する役割を果たしたい」という希望が隠されていると感じたのだ。
ケア計画:「怒り」「悲しみ」を受け止め、「優しさ」「温かさ」をもって寄り添う
2023年7月の介入当初、バイタル・体調管理、背部の創傷処置、足浴を目的として月2回、1回30分、看護師が訪問した。妻が亡くなってから、Kさんは医療者を責める発言を繰り返しながらも看護師の訪問を拒む態度は示さなかったことから、山口看護師らケアチームは、Kさんの怒りを「悲嘆のプロセス」の一部であり、背景に「寂しさ」「後悔」「罪悪感」といった別の感情が隠されていると捉えた。そこで「悲しみを解決する」ことではなく、「悲しみと共に今を生きられるように支える」ことを目的としてケアにあたった。責められても否定せず、気持ちを受け止めることを基本姿勢とし、Kさんに「優しさ」「温かさ」を感じてもらうことを重視。保清ケアの際には非言語的コミュニケーションによって、寄り添う気持ちが伝わるように意識した。また、Kさんの話にじっくり耳を傾けるだけでなく、表情の変化を見逃さないように心がけ、言葉の裏に隠された本当の気持ちを理解するよう努めた。
経緯:孤独感と喪失感を乗り越え、今を受容して穏やかな最期へ
突然妻を亡くし「こんなはずじゃなかった」
少し話が戻るが、2023年7月、腰の手術を終えて退院したKさんは、それまで通り献身的に妻を介護し、細々とした家事もこなし、思うように動けないながらも充実した日々を送っていた。そんな中、ある時期から妻の足の状態が悪くなっていったため、医師が即日入院を勧めたが、「入院はしたくない」という本人の意思を尊重し、その日は自宅で様子を見ることにした。ところがその翌日、透析のために通院したところそのまま緊急入院となり、敗血症のためわずか2週間後に病院で亡くなってしまう。あまりに突然の別れに、Kさんは現実を受け入れることができず、「なぜそんなに具合が悪いのに教えてくれなかったのか」「自分は何も聞いていない」など、悲しみよりも怒りの感情を、医療者や訪問スタッフにぶつけるようになる。暗く閉ざされた部屋で「こんなはずじゃなかった」とたびたび口にする姿に、妻を失ったこと、夫としての役割を失ったことの二重の喪失感が見てとれた。同時に、腰の手術によって自身も車椅子生活となったことから、長年「支える側」だったKさんが「支えられる側」に変わらざるを得なくなった現実に対する苦悩も抱えていた。
怒りを受け入れ、寄り添うことで信頼関係を構築
看護師たちは訪問のたびに怒りの感情の言葉を受けていたが、それをKさんの「悲嘆のプロセス」の一部と位置づけ、まずは信頼関係を築いてからグリーフケア※を実践することにした。Kさんの怒りの感情やネガティブな言葉を否定せずに受け止め、静かに寄り添った。清拭の際には、少し熱めのタオルを使い、じんわりと温かさが伝わるように手を添えて、「私たちがいつもそばにいますよ」という思いを込めて行うようにした。また、Kさんは訪問中、しばしば同居する長女への不満も口にしていたが、その表情から山口看護師は「不満は本心ではないのでは?」と推察、常にKさんの表情を見逃さず、本当の気持ちを察するよう心がけた。このように寄り添い続けるうち、次第にKさんは心を開き、山口看護師はじめ訪問スタッフとの間に信頼関係が築かれていった。妻を亡くしてから約半年後のある時、Kさんは「もっとゆっくりケアしてほしい」と自ら希望を述べた。自立心が強く、ケアされることを是としてこなかったKさんが「支えられること」を受け入れられるように変化しはじめたのだった。
※グリーフケア:大切な人を亡くしたことなどによる深い悲しみ(グリーフ)を抱える人に寄り添い、その悲しみを乗り越え、自立し、成長していけるよう支援すること
一周忌のささやかな供養と「受容」への変化
そして2024年11月、山口看護師とKさんの信頼関係が深まってきた頃に、妻の一周忌を迎えた。山口看護師は花束を持って訪問し、Kさんに手渡した。そして、棚の中に妻の写真が添えられた骨壺があるのを見つけ、「ここを開けて写真の前で手を合わせてもいいですか」と声をかけると、Kさんは棚の奥にしまい込まれていた骨壺を取り出し、二人で静かに手を合わせた。「ありがとな。そんなことしてくれるのはあんただけだ」とKさん。その時の胸の内について山口看護師は「これまで介護を頑張ってきたKさんにご苦労さまという気持ちと、これからもKさんのことを思っていますよという気持ち、そして奥様も私たちにとって大切な存在でしたよという思いで手を合わせました」と振り返った。翌週訪問すると、花は花瓶に入れられ、骨壺の隣に飾られていた。Kさんは「枯れないようにしておいたぞ」と、妻の死を少しずつ受け入れる兆しを見せた。

看護師の橋渡しで父娘のわだかまりが解消
こうしてKさんの心は落ち着きを取り戻しつつあったが、山口看護師がもう一つ気にかかっていたのが長女との関係だ。当時、同居とはいっても、長女は2階に居ることが多く、Kさんとも訪問スタッフともほとんど交流がなかった。そのため、妻を失った後、Kさんは「娘は何もしてくれん」「俺はみんなの面倒をみてきたのに、誰にも世話してもらえん」などと、しばしば愚痴をこぼしていた。しかし、山口看護師はそういう時のKさんの目を見て「本心では娘さんともっと関わり、父としての役割を果たしたいのではないか」と感じ、どうにか長女とコミュニケーションをとりたいと考えていた。
そんな状況で迎えた2024年の年末。相変わらずKさんは「年越しそばも一人で食べた」「酒も一人で飲んでも美味くねえ」と孤立感を募らせていた。次の受診に長女が付き添ってくれるか分からないと話していたため、看護師はこの機に直接思いを聞いてみようと思い、Kさんの許可を得て長女と電話で話した。すると「何かしてあげようと思っても、すぐ喧嘩になるから嫌になる」とのこと。決して無関心なのではなく、お互い不器用さゆえに歩み寄れなかったのだ。そこで山口看護師は長女に「お父さんはあなたのことをよく話していますよ」と伝え、Kさんにも長女の思いを伝えた。それ以来、訪問後には「今日はこんな様子でした」と短い手紙を残して長女に伝えるようにするなど、父娘の関係を見守りながら橋渡し役を担った。やがてKさんの長女への不満の言葉は減り、「あいつを残していって大丈夫か」と心配を口にするようになった。
自宅で娘たちに見守られながらの穏やかな最期
2025年1月以降、KさんのADL※はかなり低下し、感染症や誤嚥性肺炎により入退院を繰り返した。だが、その頃には長女が買い物や食事の準備を担うようになり、Kさんも優しい父親の表情で「娘がご飯を炊いてくれた」「買い物に行ってくれた」と話していた。同時に、他者の助けを借りなければならない「支えられる側」の存在となった自身を許せるようにもなってきていた。
同年4月中旬、Kさんは誤嚥性肺炎によって体調が悪化、意識レベルが下がり入院することになった。このとき、山口看護師はケアマネージャーから「お看取りになると思いますが、娘さんがKさんをご自宅に連れて帰りたいと言っています」と連絡を受ける。「あれほど距離感があると思われた長女さんが、最後に自宅で看取ることを決断され、驚きとともに感謝の気持ちが湧きました」(山口看護師)。帰宅の際、山口看護師が「娘さんにそばにいてもらえて幸せですね」と声をかけると、Kさんは小さくうなずいた。そして、Kさんは退院からわずか2日後、大切な娘たちに囲まれながら静かに息を引き取った。

※ADL:日常生活動作(Activities of Daily Living)の略で、日常生活を送る上で必要となる基本的な動作のこと
振り返り:思いを感じ取り、悲しみと共に生きることに寄り添うケア
このケースでは、大切なものを失った喪失感と、「支える側」から「支えられる側」へ転じる苦悩を抱える人へのケアの難しさを示している。Kさんは長年、家族を守ることで自己を保ってきたが、妻を亡くしたことで虚しさと孤独感が生じ、自身の体調悪化によって自立心すら脅かされることになった。しかし、ケアチームは本人の過去を認識した上で寄り添うケアを続け、信頼関係を築いていった。このことで少しずつ心が落ち着いていったKさんは、やがて悲嘆を乗り越えて現実を受け入れ、さらに娘さんとのつながりを回復し、穏やかな最期を迎えることができた。山口看護師は「焦らず、その人の雰囲気や言葉にならない思いを感じ取ることを大切にしました。悲しみを解決するのではなく、悲しみと共に生きることに寄り添う。その姿勢が訪問看護の醍醐味だと思います」と振り返った。
まとめ
(この症例のポイント)
- 利用者がこれまで大切にしてきた役割や、拠り所としていたものを知ったうえで支援する。役割の喪失や転換が怒りとなって現れても、その原因を知ることで、より良いケアを提供することができる。
- 個の看護を行いながら、常に家庭内の関係性を意識して関わる。訪問するうちに見えてきた家族関係は軽視せず気に留めておく。もしも利用者本人と家族の間で行き違いがあった場合は過度に介入せず、できるだけ橋渡し役に徹することが肝要。
- 悲しみを解決しようとするのではなく「悲しみと共に今を生きること」に寄り添う。特にグリーフケアにおいては、悲しみの感情を自身が受け止め、その現実の中で生きることに視点を向けるための支援が望まれる。
考察
医療職向け 症例からの学びポイントと解説
本症例の核心は、利用者が抱く「理想の人生の最終段階」と、直面する「現実」との間に生じた深刻な乖離にあります。長年「支える側」であった患者が、妻との死別と自身の機能低下により「支えられる側」へと移行する「役割移行」の危機に直面し、それが「こんなはずじゃなかった」というスピリチュアルペインとして表出しました。この複雑な苦悩に対し、看護師がどのように介入したかを以下に考察します。
1.「役割移行」に伴う危機のアセスメント
利用者の医療者への怒りは、妻の死に対する悲嘆に加え、「家族を支える」という自己の中心的役割を奪われたという感覚から生じていました。専門職の第一歩は、この怒りの背景にある役割移行の危機を正確にアセスメントすることです。言葉通りの怒りや不満を受け止めるだけでなく、その裏にある「これまで通り主体的に関わりたい」「家族の大黒柱であり続けたい」という本人の価値観とプライドを理解すること。これが、信頼関係を構築し、適切な支援を組み立てる上での基盤となります。
2.「理想と現実の乖離」が生む苦痛への介入:肯定的感情による感情の相殺
患者の「誰にも世話してもらえん」という言葉は、理想(家族に囲まれ大切にされる)と現実(孤立)との乖離からくる深い苦悩の表れでした。これに対し、看護師が一周忌に花を贈った行為は、負の感情を、正反対の肯定的感情で相殺するという介入でした。この行為は、死別による「喪失感」「罪悪感」に対し、「感謝」「追悼」「承認」といった肯定的な意味を付与し、利用者の感情のバランスを整える効果をもたらしました。これは、言葉による説得が困難な状況下で、利用者の感情に直接働きかけるための有効なケアと言えます。
3.関係性の再構築支援:家族システムの「橋渡し役」としての専門職
利用者の苦悩を和らげ、理想の最期に近づけるためには、機能不全に陥っていた家族関係の再構築が不可欠でした。看護師は、父娘双方の思い(父の娘への本当の想い、娘の「喧嘩になるから関わりにくい」という事情)を確認し、コミュニケーションの障壁を取り除く「橋渡し役」に徹しました。これは、一方的に家族に関与を求めるのではなく、双方の思いを尊重しながら関係性を調整し、娘が自発的に父親と関われるようにする支援です。在宅ケアにおいて、専門職が家族システムとして機能することの重要性を示す実践です。
※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。
取材・文/金田亜喜子



