訪問看護事例:CASE 13
投稿日:2025年10月24日

脳腫瘍再発リスクのある方への就労支援、生きる希望のケアのあり方

限りある人生をどう過ごすのか、自身で考え決意するためにSTが伴走した2年

概要

30代の若さで脳腫瘍を発症し、後遺症が残った方への在宅における言語聴覚士(ST)の関わりのプロセスです。失語症や高次脳機能障害、右手の巧緻性低下などの後遺症が残るなか、復職したいという希望に寄り添って、現実に即した評価と目標設定を続けました。再発による継続的な喪失体験も乗り越え、最期まで前向きにリハビリに取り組む利用者様を支えた事例です。

この記事で学べること・
本事例のポイント

  • 機能低下に対する利用者の喪失感への寄り添い方
  • 利用者の希望の実現が難しい場合の目標設定やフォローの進め方
  • 利用者の尊厳を傷つけない医療職としてのスタンスとマナー

介入事例

登場人物:ご利用者様・担当者

Nさん

33歳、女性。夫と二人暮らし。営業職として熱心に働いていたが、31歳のときに左前頭葉星細胞腫を発症。手術後、運動性失語症と注意機能低下、高次脳機能障害、右手の巧緻性低下などの後遺症が残る。復職を目指して真剣にリハビリに取り組み、1年後には就労継続支援に通い、イラストの制作も始めるようになる。退院から1年半後に再発し、半年後に逝去。

瀧本倫子/担当者:言語聴覚士(ST

非医療職から言語聴覚士養成校に進み、卒業後、回復期・訪問看護ステーション・急性期病棟で勤務。その後児童発達支援・放課後デイサービスの勤務を経て、2022年デザインケア入職。言語聴覚士歴13年。言語聴覚士として大切にしていることは「最初から最後まで利用者の味方になること。ただし踏み込みすぎないこと」。

※ST:言語聴覚士を指す (Speech Therapist) の略

背景:31歳で脳腫瘍を発症。後遺症が残るも復職を目指す

旅行会社の営業として社内で表彰されるほど仕事熱心だったNさんは、夫と互いに家事の分担をしながら仲良く暮らしていた。実家との関係も良好で、大切なことを決める時にはNさん夫婦も含めた全員で話し合うほど。公私ともに充実した毎日を過ごしていたNさんだったが、31歳の時に脳腫瘍を発症。左前頭葉星細胞腫を手術で除去したが、運動性失語症(発声は保たれているが、喋ることが困難で、まとまった意味を流暢に表出することができない症状)と注意機能低下、失行(手足は正常に動くが、目的の動作を正しく行えない状態)等の高次脳機能障害、右手の巧緻性(手先や指先をうまく動かすことができる能力)低下などの後遺症が残ってしまった。入院中には抗がん剤治療を行っていたが、通院でも治療可能と言われ、本人も家に帰りたい意思があったため退院し、訪問看護でのリハビリを開始した。また、このときNさんは元の職場への復帰を希望していた。

希望:「仕事がしたい、元の自分、元の夫婦生活をとりもどしたい」

脳腫瘍の手術後、言語機能や身体機能に後遺症が残ったことは実感していたものの、「休職期間中にリハビリを頑張って、元の職場に復帰したい」と口にしていたNさん。しかしリハビリが進むにつれ、回復には時間がかかることも理解するようになり、目標を状況に合わせて見直し、まずは就労継続支援サービスの利用から始めることになった。「大病を患い、余命はわからないけれど生きている限りは家族や周囲に迷惑をかけず、自立した生活を取り戻したい。」と思っていたNさん。徐々にできることも増え、希望する就労継続支援事業所にも週4回通い始めていた。

▲夫のMさんと旅行先の陶芸体験で作った作品

ケア計画:機能回復を図りながら、現状に即した目標設定を

運動性失語症と注意機能低下、失行等の高次脳機能障害、右手の巧緻性低下の回復のため、2023年1月から訪問看護で言語聴覚士が週1回、理学療法士が週2回介入。入院中から関わっていた医療ソーシャルワーカーのほか、1年後からは就労継続支援のため相談支援事業所の相談員も加わった。瀧本言語聴覚士(以下ST)は、仕事復帰を望むNさんの希望を聞きながら、本人が思うようなスピードで言語機能が回復するのは難しいことを折りに触れて説明。失語症患者の集まるサロンやイベントなどに参加することで、Nさんに失語症の人たちの現状を知ってもらい、現実に即した目標や希望を設定できるように促した。

経緯:Nさんの状況変化に対応して細かくフォローする

後遺症が残るも前向きにリハビリに取り組む

介入当初は、動作に拙劣さが残るものの自力で歩くことは可能で、運動機能にはあまり問題がないように思えた。言語症状については、人が話していることの理解はまずまずできたが、自分で話す時は、言葉がスムーズに出てこない状況。また言語症状以外の高次脳機能障害があり、例えば以前はできていた歯磨きがスムーズにできないなど、いわゆる失行の症状も認められた。Nさんは脳腫瘍で大手術をしたこともわかっていたし、自分の症状も自覚していたが、それでも「元の職場に復帰したい」という強い意志を持ち、熱心にリハビリに取り組んでいた。文字を想起するのも少し困難になっていたが、「音声入力ならできる」と音声入力した文字を見て書くなど、自分でも工夫を重ねる。また夫や両親もリハビリに同席したり、Nさんについての情報を瀧本STに提供したりするなどし、家族で一丸となってNさんを支えていた。

回復スピードの現実を踏まえて目標を変更

リハビリの一環である自由会話では「今後どうしていくか」ということが最初の話題になった。「休職期間が明けるまでに仕事に復帰したい」という希望があったNさん。リハビリを行う中で身体機能はかなり回復してきたものの、高次脳機能障害や失語症は期待するようなスピードで回復することは難しい。当初からそのことを伝え、就労継続支援サービスを受けるという道もあることを提示していたが、やはり本人が納得する必要がある。瀧本STはしばらく様子を見ることにする。その後、数カ月経ってもスラスラ話すことが難しく、元の職場にまだ復帰はできないとNさんが思ったところで、改めて相談支援事業所に相談。相談員のサポートのもと、希望していたパソコン関係の就労継続支援事業所で週4日働くことになった。

また介入後、失語症の現実を知ってもらうために、瀧本STは早い段階で失語症患者の会や自身で主宰している患者サロンをNさんに紹介し、年1回行われる失語症のイベントへの参加も促した。イベントではさまざまな患者の姿を見てショックも受けたNさんだったが、イラストや切り絵などの作品展示には心が動いていた。サロンでは患者や患者家族の体験談を聞き、「気持ちがわかる」と呟いた。このような場で、失語症がありながらも生き生きと活動している人たちと出会ったことも、置かれている現実を認識し、新しい生きがいを探す力となっていた。

イベントへのイラスト出品

言語訓練の一つである「絵を見てイメージすることを説明する」という課題が好きだったNさん。自身で紡がれるストーリーにも独特の個性があり、家族も感心していた。それがイラストに興味を持つきっかけとなった。術後1年の病院での高次脳機能検査の結果で、損傷した左脳を右脳がカバーしていることがわかって、非利き手の左手でイラストを描き始めた。初めて参加した失語症のイベントでは、展示されていた作品を見て、「失語症の人が描いたから、それだけで(作品の質とは関係なく)すごいと評価されるんでしょう」と言っていたNさんだったが、瀧本STに勧められ、次の年のイベントではイラストの出品を決意する。決めた後は、イラストに添える説明文の添削を瀧本STに何度も依頼するなど、熱心に製作に取り組んだ。完成した作品の搬入前、Nさんは「すごくドキドキする」と心境を語っていたが、「すごく良かった」「このイラスト好きです」「写真を撮りました」という感想が多くあがり、それを知ったNさんもとても嬉しそうだったという。

▲誕生日「ハピプロ」で訪看チームから色鉛筆セットをプレゼント(右は夫のMさん)
▲Nさんが描いたイラスト

退院1年半後の再発。家族の思いを汲んだケア目標の再設定

イラストが評価され、前向きにさまざまなことに取り組んでいたNさんだが、退院1年半後に左後頭葉腫瘍の再発が判明する。その際、主治医から今後、言語理解能力の低下、右側の同名半盲(両眼の同じ側の部分が見えなくなる症状)が進むことを知らされる。セカンドオピニオンでウイルス治療を希望した病院で診てもらったときには、家族には年内は難しいかもしれないという告知もされた。Nさん自身、再獲得してきた機能が 徐々に低下してきたこと、セカンドオピニオンで希望した手術治療が受けられなかったことで、余命が短いことを感じ取り、「家族も仕事(がある)。(自分の為に)休んでいる」「早く死にたい」などと発言することも増えた。一方で家族は、本人が人生を諦めてしまうことを懸念し余命を伝えず、今までのようにリハビリを続けてほしいと要望があがる。そこで、言語機能が落ちてきたNさんと家族が、これまでのように円滑にコミュニケーションが取れることを新たなケア目標に設定し、家族に「こう言った方が伝わりやすい」「理解を確認しながら話しましょう」などのアドバイスを行った。

再発から約5カ月後、頭蓋内亢進で救急搬送され短期入院し、退院後に瀧本STが訪問リハビリを再開するが、すでにNさんはほとんど食べられない状況で、訪問後は急に意識が落ち、3日後に自宅で穏やかに逝去された。

▲ウイルス治療が受けられないことが分かった後のST初回訪問時のNさん。動かしづらくなっていた右手にスタッフからのプレゼントを持たせてポーズをとってくださった

振り返り:味方でありながらも踏み込みすぎず、社会との窓口に

瀧本STが心掛けていたのは、失語症によって滑らかに自分の思いを話せない利用者の味方となり、最初から最後まで関わること。STとしての訪問は週に1〜2回なので、利用者の全てを見ることはできないが、今回の事例では、夫や家族の協力が大きな支えになった。「失語症で言語機能が低下していたとしても、人間性に変化があったわけではありません。それを前提として関わることが大切。しかし家族と同じように、という関わり方はまた違う」と言う瀧本ST。Nさんの問いにはなんでも答えられる存在でいようと思っていたが、依存関係に陥ることなく、社会に出ていくためのフォロー、家族とのコミュニケーションを取るためのフォローに努めていた。「発症して2年以上にわたるN様の努力の過程をご家族と共有し、作品を遺されたことで、グリーフケアにも寄与できたと思います」(瀧本ST)。

▲グリーフケアで夫のMさん(左)から「一緒に撮りましょう」と提案いただき記念撮影。中央は黒川店の那須看護師

利用者様・ご家族の声

「入院していないとリハビリが続けられないのは困る、と思っていたので、退院してきてすぐに自宅でリハビリを受けることができてよかったと思います。この家に帰ってきて、Mくん(ご主人)と二人で生活する、ということがNの希望でした。二人で生活するにあたって、対等なパートナーでありたいと強く望んでいたと思います。Mくんの負担になりたくない、自分も家計費の面で少しでも生活を支えたいという思いがあって、就労支援も頑張ってたと思います。ここまで頑張っていたのは、根底に『家族に迷惑をかけられない』『むしろ家族を助ける自分でありたい』という思いがあったと思います」(ご主人、Nさんのご両親より)

まとめ
(この症例のポイント)

  • 進行する機能低下に対する利用者の喪失感に対処するためには、常に評価やケア内容を見直しながら関わる必要がある
  • 利用者の希望の実現が機能低下により叶わなくても、本人が納得して次の段階に進めるよう、細かくフォローする
  • 失語症になっても利用者の人格が変わったわけではないので、尊厳を傷つけないように対応することが大切

考察

医療職向け 症例からの学びポイントと解説

本症例は、若年で脳腫瘍を発症し、再発による継続的な機能喪失に直面した利用者に対し、言語聴覚士(ST)が伴走者として関わり、その都度、本人が納得できる目標を再設定し続けた、極めて示唆に富む実践です。この約2年間にわたるプロセスは、進行性の疾患を持つ方へのリハビリテーション専門職の役割について、重要な視座を与えてくれます。

1.進行性疾患における目標再設定の支援プロセス

利用者が当初掲げた「元の職場への復帰」という希望は、後遺症の現実とは乖離がありました。これに対しSTは、希望を正面から否定するのではなく、失語症の当事者会やイベントへ繋ぐことで、現実を知るための情報提供を行いました。 同じ立場にある人の姿に触れることは、時に理想と現実の乖離を突きつけられるという苦痛を伴うリスクもありますが、同時に新たな可能性(イラスト制作など)に気づくきっかけともなり得ます。ここでの専門職の最も重要な役割は、情報提供の後に性急な決断を促すことではありません。記事にもある通り、利用者が提供された情報を自身のペースで受け止め、悩み、最終的に自らの意思で次の目標(就労継続支援)を決断するまで、辛抱強く「待つ」という姿勢です。利用者の主体性を最後まで尊重した自己決定支援と言えます。

2.代替的役割の発見と構築

利用者の苦悩の核心は、機能の喪失そのものよりも、「仕事をすることで、夫婦共に助け合って対等な関係を築ける自分」という自己像(アイデンティティ)の喪失にありました。STの支援は、言語機能訓練に留まりませんでした。イラスト制作という、利用者の残存能力と創造性を活かせる代替的な役割を共に発見し、作品の出展を通じて社会的評価に繋げたことは、リハビリテーションが「失われた機能を取り戻す」だけでなく、「新たな自己像を再構築する」プロセスでもあることを示しています。制作された作品が、ご家族にとって大切なグリーフケアの一助となった点も解説のポイントです。

3.終末期におけるリハビリ専門職の役割転換

腫瘍が再発し、利用者が終末期に入った段階で、STの役割は再び大きく転換しました。ここでの目標は、もはや機能の回復や維持ではありません。残された時間の中で、意思疎出が困難になっていく利用者と家族とのコミュニケーションの質を最大限に保つこと、すなわち「関係性の支援」へと移行しました。家族に対し、具体的なコミュニケーション方法を助言することで、最後まで家族としての繋がりを支えました。これは、終末期においてリハビリテーション専門職が、その専門性を活かして果たしうる、極めて重要な緩和ケアの一環です。

※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。

取材・文/清水真保

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