訪問看護事例:CASE 16
投稿日:2025年10月28日

20代脳腫瘍末期男性が心から笑顔になれる時間を生んだ在宅チームの関わり

~人生最初で最後のクリスマスパーティー~

概要

22歳の脳腫瘍末期の利用者様への約半年間の関わりの記録。幼い頃から10年以上闘病していた利用様が、ケアチームの支えにより徐々に感情を表現できるようになった軌跡です。利用者様は家族思いの優しい性格もあり、何事も家族の希望を第一に考え、自分の望みは後回しにしてしまう傾向がありました。残された時間の中で本人が望んだ楽しい経験をしてほしいと考えたケアチームは、クリスマスパーティーを企画。そこから利用者様の表情や言葉が変わっていきました。

この記事で学べること・
本事例のポイント

  • 利用者本人が多くを語らない場合に本心を察する寄り添い方
  • イベントの企画を通して利用者の希望を引き出す方法
  • ポジティブな経験の共有が残された家族の悲嘆を和らげる一助になるという視点

介入事例

登場人物:ご利用者様・担当者

秋田将希さん/写真中央

22歳男性、母と兄との3人暮らし。10歳の時に脳腫瘍を発症。長い入院生活が続いたため社会的つながりが薄い。口数が少なく控えめな性格。本人の希望により2020年9月から自宅に戻り在宅療養に移行。病状悪化のため2021年2月に再び入院し、同年3月に逝去。

吉田雄太/担当者:看護師

看護師歴7年。岡山県で病院EICU半年間働いた後、2019年11月からデザインケア入職。利用者様に喜んでもらえる「生きる希望のケア」が実践できるよう学びを深めつつ、現在はやりがいのある職場環境「マグネットステーション」を目指し管理者を務める。

背景:10歳で脳腫瘍を発症。21歳で治療困難のため在宅療養に移行

将希さんは10歳の頃に脳腫瘍を発症し、その後の生活は入院中心となったためほとんど学校に通うことができなかった。結果として同世代との交流が乏しく、友人を作る機会もほとんどなかった。2020年9月、21歳の時に治療の選択肢が尽きた段階で、本人の希望により自宅に戻り在宅療養生活がスタート。このタイミングでみんなのかかりつけ訪問看護ステーションが介入。同時に別事業所のヘルパーと相談員も介入した。

脳腫瘍による麻痺があり、在宅では、ほぼベッド上の生活。トイレ介助が必要で、食事も当初はペースト食に限られていた。そのため起床後は一日中動画を見て過ごすなど、日常は単調であった。母は働きながら、約10年間、将希さんを支えてきた。経済的な不安も抱えながら、在宅生活を可能にするために努力していた。同居する兄も将希さんとの仲は良く、適度な距離感で弟を見守っていた。母も兄もフルタイム勤務のため訪問スタッフとの関わりはあまりなかったが、親子関係、スタッフと家族の関係、ともに良好であった。

希望:これから先は「お母さんが望むようにしたい」

将希さんは自身の病気についてはっきりと理解しており、「いつか動けなくなって、自分で息ができなくなることはわかっている」と他人事のように淡々と語るその姿は、希望を見出すことができず、生きることを諦めてしまっているように見受けられた。看護師が将来について尋ねても「分からない」「お母さんが望むようにしたい」と答えることが多く、自宅に帰りたいと希望したのも、家計負担を軽くすることが大きな理由だったと話していた。吉田看護師は、将希さんが家族を思いやる優しさの裏で、自分の本心を抑えてしまっているのではないかと感じていた。しかし、訪問スタッフとの信頼関係が深まってくると、「コンビニのお菓子が食べたい」「外食したい」など、ささやかながらも自分の意思を口にすることもでてきた。看取りについての具体的なことは本人も家族も決めきれなかったが、本人の「お母さんの負担にならないように」という思いだけは最期まで揺るがなかった。

ケア計画:本人の感情を引き出すために、心豊かになれる機会を創出

2020年9月の介入当初、病状の安定と身体的苦痛の緩和およびQOL向上を目的に、全身状態の観察、褥瘡予防、日常生活の援助のため看護師が毎日、理学療法士が週1回訪問。また、別事業所のヘルパーが毎日、家族が働く日中に滞在し、日常生活の介助を担っていた。同年9月からは、本人が食形態のアップを希望したため言語聴覚士が週1回介入し、安全な食事方法を模索しながら嚥下訓練を実施した。

一方、周囲に気を遣い自己表現をできずにいる将希さんが、残された時間を自分らしく有意義に生きるためにできることを考えたい想いが在宅チームにあった。

※QOL:「Quality of Life」の略で「生活の質」「人生の質」の意。個人が感じる日常生活の満足度や幸福度を指す主観的な概念。

経緯:無表情から笑顔へ。パーティーをきっかけに「生きたい」意思が表出

家族を思う気持ちが優先し、本心が言えない

介入した当初の将希さんは、脳腫瘍からくる首の痛みがあったが、日常生活に支障をきたすほどでもなく、比較的病状は落ち着いていた。ただ、歩行は困難でトイレに行くのも介助を必要としため、家族が不在の昼間はヘルパーがつきっきりでケアするという状態。毎朝、将希さんは、出勤する母と入れ替わりでヘルパーがやって来るとゆっくり起き出し、そのままベッドの上で動画を見たり、寝たり起きたりを繰り返して就寝は深夜3時くらいという生活を送っていた。 吉田看護師が初めて彼に会った時の印象は、口数が少なく無表情。ほとんど笑顔を見せず、どんな思いで日々を過ごしているのか想像がつかなかった。何度か訪問するうちに、サッカーやアイドルの話題になると少し表情が緩むなど、ごく普通の20代の若者の顔も見せるようになった。ただ、これから先どうしたいのかを尋ねても「わからない」「お母さんが希望する通りにしたい」と答えるばかりで、将希さんの意思が全く見えてこない。家族を思う気持ちが優先して、本心を言うことができないでいるのではないか。それが、この頃の将希さんに対するケアチームとしての共通認識であった。

コンビニへの冒険とファミレスでの誕生祝い

当時のケアチームのメンバーには、将希さんとほぼ同世代の男女7人が揃っていた。彼らは仲間を思うような気持ちで毎日のようにカンファレンスを行い、どうしたら将希さんの「生きる希望」を引き出せるだろうかと模索を続けた。その中で、彼の小さな望みを叶える第一歩として、食事アプローチを考えた。というのも、ペースト食のみに制限されていた将希さんが、介入から1カ月ほど経ったある日、看護師が話をする中で「コンビニのプリンやスナックのようなジャンクフードを食べたい」と、ポツリと言ったことがあったからだ。これはいい機会だと、吉田看護師らは言語聴覚士にそのことを相談し、許可が出たものを食べてみることになった。リフレッシュのために将希さんも一緒に買いに行くことになり、事前に自宅からの車椅子ルートを検証の上、スタッフの付き添いでコンビニまで300〜400メートルの“冒険”に出かけた。そこでは楽しそうに商品を手に取ってカゴに入れるなど、普段にない将希さんの表情を見ることができた。

▲コンビニで買い物を楽しむ将希さんと母の靖代さん

介入から約2カ月後の2020年11月下旬、将希さんの22歳の誕生日を祝うためにレストランで食事をする機会が設けられた。この外食の発案者は毎日訪問していた男性ヘルパーで、彼は家族の信頼も厚く、将希さんとケアチームみんなの“お父さん”のような存在だった。将希さんにとって外食はとても貴重な体験だったため、よほど嬉しかったのだろう、テーブルを前に母たちに囲まれた将希さんはピースサインをして写真に収まった。後日その写真を見た吉田看護師らケアチームのメンバーたちは「こんな表情もできるんだ」と驚き、次の取り組みとして、クリスマスをにぎやかに祝おうという計画が持ち上がった。

▲レストランで食事をする将希さん(中央)とヘルパーさん(スマホ画面より)

ハピプロでクリスマスパーティーを企画

将希さんにクリスマスの思い出を尋ねると「みんなでワイワイなんて、したことがない」とのことだった。そこで訪問看護師が「今度クリスマスパーティーをやってみる?」と声をかけると、一瞬ためらいながらも「できるかな・・・誰を誘おうかな」と将希さん。その前向きな反応を受け、吉田看護師らケアチームはクリスマスにハピプロを実施することにした。事業所のチームでランチミーティングを設けて話し合い、「クリスマスを将希さんに全力で楽しんでもらい、生きる力・生きる希望につなげる」「人とのつながりを実感してもらう」などを目標に定めた企画書を作成して準備をスタート。音楽療法士の協力が得られることになったため、パーティーの内容は演奏会とすることが決まり、シャイな将希さん「らしさ」を大切にしつつ「みんなでワイワイ楽しんだ」経験になるパーティーを創り上げようとプログラムを考えた。準備期間は約1週間。スタッフは仕事を終えると連日、音楽療法士の自宅などに集まり、ギターなど楽器の練習に勤しんだ。並行して吉田看護師らはサンタクロースやトナカイの衣装などを手配、パーティー演出のために奔走した。当時コロナ禍だったため、感染症対策として時間は30分以内にすることとし、換気とマスクの徹底、参加条件を設けるなど、リスク管理も確認。演奏のために使う楽器は音楽療法士から借りることが決まり、前日には準備が整った。

※ハッピープロジェクト:「利用者様に笑顔や感動を与えられるようなことがしたい!」という社員の声が発端で始まった「みんなのかかりつけ」の活動。利用者様の誕生日や記念日を祝ったり、季節のイベント(バレンタインデーやハロウィーン、ひな祭り等々)を企画して一緒に過ごしたりと、利用者様やそのご家族に笑顔を届ける小さなサプライズを、訪問看護スタッフたちのアイデアでお届けしている。

楽しい経験を経て、表情と気持ちが変化

そして迎えた2020年12月17日。17時ごろ通常の訪問看護業務が終わると、将希さんの居間に楽器や飾り付けが運び込まれた。最初はいつものようにベッド上に座り「何が始まるんだろう」と戸惑っていた将希さんだが、鈴の音や「メリークリスマス!」の声に合わせて続々とスタッフが現れると、緊張気味の表情を崩し笑顔を見せる。サンタクロースやトナカイに扮したスタッフは音楽療法士とヘルパー、看護師4人の総勢7人。1曲目「ジングルベル」、2曲目「アメージンググレイス」と演奏が続きクリスマスムードが盛り上がると、次第に雰囲気に慣れた将希さんは、3曲目の「聖夜(きよしこの夜)」では「これ、鳴らしてみてもいいですか?」と言って自らトーンチャイムを手に取り、みんなの演奏に合わせて音を鳴らした。仕事を終えて帰宅した母も途中から加わり、最後はパーティー用の炭酸飲料で乾杯してにぎやかなパーティーは幕を閉じた。将希さんの居室が音楽と笑顔で満たされた30分間の様子は写真と動画に収め、楽しかった思い出として残された。

吉田看護師はじめケアチームのメンバーは、このパーティーを機に将希さんが少しずつ感情を表に出すようになったと感じていた。照れながらも「またやってくれてもいいですよ」とイベントをリクエストしたり、「体が動かなくなるのは嫌だ」という気持ちを言葉にしたり。数カ月前は生きることを諦めているように見えた将希さんの内面に、「生きたい」という明確な意思を感じられるようになった。それでも家族を思う気持ちは一貫しており、自身の夜間の介助方法について負担の少ない方法を提案することもあった。

年が明けると将希さんの身体機能は徐々に低下し、2021年2月に再入院することになった。そして約1カ月後の同年3月、兄がそばで見守る中で眠るように息を引き取った。

▲クリスマスパーティー後に作成したカード。QRコードから動画が視聴できるようにした

振り返り:生きる希望が、自己表現を引き出す力になる

当時25歳だった吉田看護師は将希さんとほぼ同世代だったことから、当初から「利用者と医療者」というよりも「人と人」として接することを意識していた。「せっかく家に帰ってきたんだから、少しでも楽しいことはないか、希望を持てないだろうか、ということをずっと考えていました」という。そして、長い闘病のために友達があまりできなかった将希さんにとって、友達のような存在になれたらいいと思いながらケアしてきた。クリスマスパーティーを企画したのも、仲間と騒ぐ楽しみがあるということを知ってほしかったからだ。後日グリーフケアに訪れた際、母の靖代さんは「あんなに大笑いした将希は初めて」と語ったそう。家族にとっても忘れ得ない思い出を残すことができた。

吉田看護師が考える「生きる力」は安心を、「生きる希望」は明日への楽しみを支えること。クリスマスパーティーをきっかけに将希さんが自ら「次は何をしようか」と希望を語るようになったこのケースを経て、希望が人の自己表現を引き出す力になることを改めて学んだ。また、ケアチームは伴走者として、時に引っ張り、時に背中を押しながら寄り添うことで、その人らしさを大切にしながら人生の終末期を支えることができると認識を深めた。

▲ご逝去後、写真や「聞き書き」※を冊子にしてご家族へプレゼントした

※聞き書き:語り手の話した言葉をそのまま書き止め、語り手が目の前で話しているかのような文章としてまとめる手法。みんなのかかりつけ訪問看護ステーションでは、ケアの一環としてご利用者さまやご家族といった「語り手」の気持ちを聞き、言葉という文章に代えて手紙に綴る取り組みを行っている。ときには語り手が胸の内に秘めた想いをすくい取ることで、意思決定支援の場面や、グリーフケアで活躍することがある。

利用者様・ご家族の声

「親として情けないんだけど、将希が病気になってからこの子の笑う顔を残せていなくて。
だからあのクリスマス会、本当にありがとうございました。あんなに将希が笑うなんて。

小さい頃から手のかからない、おとなしい子だったんです。病気になってからはお金とか家族の心配ばかりで、わがままなんてもっと言わなくなって。だから皆さんがそばにいてくれて良かったです。

沢山美味しいもの食べて、自由に皆さんがやらせてくれたから。病院はダメなことが多いもんね。家でよく頑張ったと思う。ほんとに帰って来れてよかった。

ヘルパーさんと若い看護師さんたちが友達みたいにたくさんお話ししてくれて喜んでたと思います。将希を成長させてくれたなって。まだ実感は湧かないよね。明日には骨になっちゃうのかあって…。」
(母・秋田靖代様)※ご逝去後のグリーフケア時の聞き書きより

まとめ
(この症例のポイント)

  • 利用者本人が多くを語らなくても、本心を察するため聞き取りを諦めないことが重要。信頼関係を築く過程も含め、親身に寄り添い耳を傾ける姿勢を心がける。
  • ケアチームの企画するイベントを通して意図的に利用者の希望を引き出すことができる。そのためにはチーム全体で目標を共有し、具体的に企画書を作成することが有効。
  • 本人とポジティブな経験を共有することは、本人の「生き抜いた」という事実を象徴する記憶となり、残された家族の悲嘆を和らげる一助になる。

考察

医療職向け 症例からの学びポイントと解説

本症例は、10年以上にわたる闘病生活の末、自己表現や希望を抑制しがちになっていた22歳の若き利用者様に対し、ケアチームが意図的な関わりを通じてその内に秘められた意思を引き出し、最期の時間を豊かなものへと変容させた、示唆に富む実践です。この関わりは、特に長期療養が自己決定に与える影響と、それに対する看護の役割について、重要な視座を与えてくれます。

1.長期療養が形成する「病者のアイデンティティ」と「役割逆転」への介入

利用者様の「お母さんが望むようにしたい」という言葉は、ご家族への深い愛情の表れであると同時に、小児期からの長い闘病生活が自己のアイデンティティを「ケアされる存在(病者)」として固定化させ、さらに親の負担を気遣うあまり自身の欲求を抑圧する「役割逆転」が生じていたことを示唆しています。このような状況で、専門職がただ本人の言葉を待つだけでは、その人らしいケアは実現できません。本症例のチームは、まずコンビニへの外出という小さな成功体験を意図的に設定することで、「病者」という受動的な役割から、自らの人生の「主体」へと移行するきっかけを作りました。これは、抑制された自己決定能力を再び引き出すための、発達心理学的にも理にかなった第一歩だった可能性があります。

2.状況を好転させる意図的な関わり

この関わりの中心となったのは、クリスマスパーティーでした。これは利用者様の全体の状況を好転させる「要」となる、多面的な目的を持った関わりでした。「生きる希望につなげる」「人とのつながりを実感してもらう」という明確な目標のもと、ご本人の性格にも配慮しながら、自ら演奏に参加できるような工夫もされました。この一連の働きかけは、利用者様の内に眠っていた「楽しい」「嬉しい」という感情と、「自分も何かをしたい」という主体的な気持ちを引き出すための、心を動かすための治療的な介入でした。この経験を通じて、利用者様は死という厳しい現実を前にしながらも、心が前向きに変化し、人として成長するきっかけとなったと言えるでしょう。

3.共有された楽しい記憶が、家族の心を支えるケアになる

ケアチームが創り出した「コンビニでの買い物」や「クリスマスパーティーでの満面の笑顔」といった体験は、利用者様ご本人の時間を豊かなものにしただけではありませんでした。お母様が「あんなに将希が笑うなんて」と語ったように、これらの記憶は、残されるご家族にとって、故人が「ただ闘病しただけでなく、最期に楽しく生きた」という事実を象徴する、かけがえのない記憶となります。人生の最終段階で、ご本人とご家族が楽しい時間を意図的に共有することは、ご家族が未来の悲しみと向き合う上での大きな支えとなり得る予防的グリーフケアとしての意味も持ちます。

※エピソードは実話に基づいていますが、個人情報やプライバシーに配慮して一部内容を変更している場合があります。

取材・文/金田亜喜子

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