一人ではなく
仲間と共に
地域に恩返しする道を選びました
江南店 管理者
佐久間 三佳
DATA
1973年生まれ/大学卒/前職:市民病院/一般企業での勤務経験あり/訪看経験なし/愛知県出身/2022年9月入職/2024年2月より江南店管理者
医療職になったきっかけと経歴を教えてください
私は最初から看護師になろうと思っていたわけではなく、短大を卒業後に電子部品の会社へ就職しました。その後ワーキングホリデーを利用しオーストラリアで働き、現地の方と結婚し出産しました。しかし言葉や文化の壁が大きく、離婚して帰国しました。帰国後、小牧市民病院に医療事務員として入職したのですが、幼少期から憧れていた看護師と一緒に働くうちに、私も看護師になりたいという気持ちが強くなり、35歳で看護学校に入学しました。卒業後に小牧市民病院に看護師として戻り、循環器内科・心臓血管外科・呼吸器外科・形成外科の混合病棟を4年、緩和ケア病棟を6年、計10年働いた後、かかりつけに転職しました。
看護師として大切にしていることは、ご利用者さまのことをとことん知り、寄り添うように関わることです。看護師はご利用者さまの人生そのものに関わるため、いろいろな価値観に触れ、多くのことを学べます。ご本人の考えはもちろん、家族背景や環境、これまでの生き方を知ることで、さらに見えてくることもあります。そうした想いを知り、生きる希望を支えるお手伝いをしていきたいと思います。
転職前に感じていたキャリアや仕事の「悩み」について教えてください
緩和ケア病棟で働いていたとき、新型コロナウイルス感染症の影響で厳しい面会制限がありました。お看取りのときでさえ3人しか立ち会えず、本人とご家族が最期の瞬間を過ごせないことに葛藤を感じていました。また、患者さまが退院を希望されても、多くのご家族が自宅でのお看取りを不安に感じており、実際に自宅に帰ることができた患者さまは年間わずか数人だけでした。このような状況から、「最期まで住み慣れた自宅で過ごせる方が増えるよう、私は受け入れる側の支援をしたい」と思うようになり、訪問看護師になることを決めました。
転職前の「不安」について教えてください
訪問看護師になろうと思った当初、地元・扶桑町(愛知県丹羽郡)に一人で訪問看護ステーションを立ち上げ、いずれは看多機もつくりたいと考えていました。地元に恩返しをしたいという想いがあったからです。扶桑町は田舎なため、病院や訪問看護ステーションは少ないものの高齢の方が多く、ニーズはあるだろうと考えていました。しかし「経営の知識のない私が立ち上げて、共に働く仲間の生活を守れるのだろうか?」という迷いがありました。訪問看護について勉強やリサーチをしながら、本当に一人で立ち上げられるのか、とても悩んでいました。
転職前の悩みや不安をどう乗り越えたのですか?
ある時、私が参加した愛知県看護協会の訪問看護の研修で、偶然にも藤野さん(弊社代表)が講義をしていました。そのとき初めてかかりつけのことを知ったのですが、社風や仲間を大切にし愛される組織を目指す考えにとても共感しました。私は多くの訪問看護ステーションをリサーチしていましたが、かかりつけほど教育体制や医療安全など組織がしっかりしているステーションはありませんでした。それまでは一人で立ち上げることだけを考えていましたが、かかりつけにはステーション立ち上げのノウハウもありますし、信頼できる仲間もいて、組織にとても魅力を感じました。「ここなら地元にステーションを立ち上げる夢を叶えられる」と思ったのです。かかりつけという船に乗り、地域の方へ恩返しするという夢を実現するため、入職を決めました。
一歩を踏み出して、今どうですか?
最初は病院とのギャップに悩みました。例えば、病院では確実な薬剤管理が求められますが、在宅ではそれだけが正解ではありません。でもかかりつけには「最高のケアとは何か?」「ご利用者さまにとって最善とは何か?」という葛藤を問いかけて、一緒に向き合って考えてくれる仲間がいます。また、他店舗で実施したケアをナレッジとして共有する「善い仕事フォーラム」という仕組みにより、最高のケアを追求し続ける環境があります。このような環境は、一人で立ち上げていたらつくることはできなかったと思います。また入職時から管理者候補として採用してくれていて、2024年2月から江南店の所長になりました。江南店は扶桑町の隣の江南市にあり、地元に恩返しをするという夢に少しずつ近づいています。私は、訪問看護には看護の基本がつまっていると思います。人に寄り添い、向き合い、ともに喜び泣いたりします。あくまで主役は利用者様ですが、ご本人・ご家族の思いを紡ぎ、伴走者であり続ける看護がここにはあります。